山本義隆著『福島の原発事故をめぐって』を読む

3.11の東日本大震災によって惹き起こされた福島第一原子力発電所の事故は、わたしたちに大きな衝撃を与えたと同時に、自らの立ち位置の曖昧さを露呈させる契機となったといっていい。安全神話などという幻想がもろくも崩れ、福島の住民の人たちや土地に対して直接的な放射能汚染をさせた国家・政府、原子力学界や関連企業並びに電力会社の大罪は、徹底的に弾劾されるべきである。菅たちをはじめとした民主党の政権中枢は、原発輸出を決めておきながら、積極的に推進してきたのは、自民党政権だったと主張して、福島原発事故に対する責任を回避したいのだろうが、そうではない。菅の付け焼刃的な浜岡原発停止や脱原発依存宣言が無意味化していることの現状を考えれば、民主党政権も同罪だといえるし、権力システムの移行に過ぎない政権交代であるかぎり、民主党政権にも責任は継承されていることを自覚すべきなのだ。

わたしは、正直にいって原発そのものの存廃に、これまで喫緊の課題として想起していなかったという反省がある。八十年代に起きた反核運動が、あいも変わらない欺瞞的な平和運動の流れのひとつとして見做していたし、どこか胡散臭さしか感じられず、反核とともに、反原発を謳われても、納得することができなかったという思いがあったからだ。いまも、福島原発事故という「事実」のもとに、誰もが反原発・脱原発を主張していく時、ふと、八十年代に起きたかつての反核運動とオーバーラップしていく懸念を思わないではない。問題は、まず一人ひとりがどう思い、どう対峙していくかであって、運動の拡張を強引に、しかも拙速に指向していくことではない。もちろん、反原発・脱原発運動の拡がりを否定するものではないが、かつての反核運動では、両極端に分かれていた柄谷行人と大江健三郎が、期せずしてデモによって社会を変えていくんだという楽観的なアジテーションをしているのを見ると、腹立たしいものがある。かれらの煽動にのらずに、立ち位置をしっかり見据えたものでなければ、やがて運動自体の自壊が訪れるだろう。また、わたしがこれまで大きな影響を受け続けてきた吉本隆明が、高度な科学技術によって原発の安全性は保持できるといまだに楽観視していることも暗澹たる思いにさせる。吉本は、あいも変わらず、核廃棄物処理に対して負の視線を射し入れていないし、おそらく、原子力エネルギー開発を人類の知の達成だと、どこかで信じているとしか思えない。

在野の物理学者でもある山本義隆の『福島の原発事故をめぐって』は、「いくつか学び考えたこと」と副題にあるように、冷静にしかも丹念に原発導入の時間性を辿りながら、その負の位相を徹底的に解析している。そこには、どんな楽観的な視線も入り込む余地のない精緻な論及でありながらも、悲愴な感性を漂わせているわけではない。むしろ、淡々と現在という場所を照射して、「脱原発社会、脱原爆社会を宣言し、そのモデルを世界に示すべきであろう」(94P)と述べていく。

「一九五八年に原子力発電にむけてアクセルを踏んだのは、時の総理大臣で戦前に東条内閣のもとで商工相として戦時統制経済を指導した岸信介であり、彼は回顧録で語っている。

昭和三十三年[一九五八年]正月六日、私は茨城県東海村の原子力研究所を視察した。日本の原子力研究はまだ緒についた  ばかりであったが、私は原子力の将来に非常な関心と期待を寄せていた。/原子力技術はそれ自体平和利用も兵器としての使用も共に可能である。どちらに用いるかは政策であり国会意志の問題である。(略)平和利用にせよその技術が進歩するにつれて、兵器としての可能性は自動的に高まってくる。日本は核兵器を持たないが、[核兵器保有の]潜在的可能性を高めることによって、軍縮や核実験禁止問題などについて、国際の場における発言力を高めることが出来る。

つまりこの時点で原子力発電(原子炉建設)の真の狙いは、エネルギー需要に対処するというよりは、むしろ日本が核技術を有すること自体、すなわちその気になれば核兵器を作りだしうるという意味で核兵器の潜在的保有国に日本をすることに置かれていた。」(8~9P)

「平和利用にせよその技術が進歩するにつれて、兵器としての可能性は自動的に高まってくる」とは、まさしく、根源的な核廃棄物処理を目指さず(不可能であることが、はじめから分かっていたというべきかもしれない)に、やがて核燃料再処理などというデマゴギーを喧伝しながら、プルトニウムを保持することによって、いつでも核開発できることを担保にした政策を推進していったことになる。つまりこれは、唯一の被爆国であり、非軍事条項を持つ憲法がありながら、それを国際政治の場で強力に発信することをはじめから放棄していたことを示している。だから、アメリカの核実験で被曝した第五福竜丸の事件の最中、原子力の平和利用などという方便を見せかけにして原発建設に向かったわが国の政権の愚かしさが、フクシマを生起させてしまったことに繋がっていったことを、時間性を含めた視線で明確に批判、否定していくことから、まず、始めていくべきなのだ。

「(略)原発は危険で厄介な『放射性廃棄物』を生みだし続け、それらは人間の生活圏から離れたところに厳重に貯蔵保管されなければならない。その意味で『廃棄物』という表現は不適切であるが、(略)貯蔵といっても人間の時間感覚からすれば事実上永久的ということになる。」(34P)「原子炉はきわめて大規模な構造物で、数多くのさまざまなサイズの溶接された配管や弁が付属し、それらの大部分が遠隔的に操作される複雑な構造を有している。(略)元技術者菊地洋一は、原発を『配管のおばけ』と表現し『原発内部はあまりにも多くの重い配管が複雑に配置され、しかも非常に不安定な支持機構しか持っていない』だけではなく、『本来想定して計算に組み込むべき要素、地震波と鉄骨の共振などが考慮されていないうえに、ミスがいくらでも入り込む余地がある』と記している。」(45P)

考えてみれば、福島原発事故後、次々と明るみに出てきたトラブルは、そもそも原発の安全神話とは机上の空論に過ぎなかったことがわかったことになる。また、わたしたちの多くは使用済燃料棒が、原子炉建屋内に冷却され続けながら置かれたていたことは、知らなかったと思う。この危険な廃棄物と運転中の原子炉との共存という奇妙な、そして信じられないような構造を持っていたことに唖然とさせられたといえる。どこが、科学技術の高度な達成といえるのだろうか、まったくもって、詐欺的行為が延々、原子力行政によってなされてきたことになる。

「近代社会、もっと限定すれば西欧近代社会の最大の発明品のひとつは科学技術だと思う。科学と技術ではない。客観的法則として表される科学理論の生産実践への意識的適用としての技術である。それを発明したがゆえに、西欧近代に生まれた文化が、現在では世界を席巻するに至っている。実際、今日では科学技術は個人の日常生活から国家間の国際政治にいたるまで、巨大な力を有している。」(59P)「原子力はまた、国家に大国としての力を与えるという幻想を生みだしたことで、国際政治においても人間のコントロールを受け入れない“怪物”を生みだしたと言えよう。」(90P)「私たちは古来、人類が有していた自然にたいする畏れの感覚をもう一度とりもどすべきであろう。自然にはまず起こることのない核分裂の連鎖反応を人為的に出現させ、自然界にはほとんど存在しなかったプルトニウムのような猛毒物質を人間の手で作り出すようなことは、本来、人間のキャパシティーを超えることであり許されるべきではないことを、思い知るべきであろう。」(91P)

なぜ、わたしたちは、「力」を求めるのだろうか。しかも、その「力」は、「コントロールを受け入れない」ものであり、「人間のキャパシティーを超え」たものであるにもかかわらず、虚妄な「怪物(核)」を手に入れようとする。その愚かしさから早く覚醒し、怪物の力を解体していかなければならない。そして「科学技術は個人の日常生活から国家間の国際政治にいたるまで、巨大な力を有している」という現実を見据えながら、便利になった生活の位相を改めるとか、後戻りするといったことではなく、すくなくとも、現在の場所を、透徹した視線を射し込ませて、もう一度、再構築していくべく、未知の通路を開いていくべきなのである。

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みすず書房刊・11.8.25・B6判・108P・定価[本体1000円+税]

第23回 コスモス忌のご案内

今年もコスモス忌のご案内を差し上げる季節となりましたが、大震災・福島原発事故という事態を、3.11以後として送る日々が、いまだに続いています。このようなことにたいして秋山清さんなら、どんな思いを発せられるかと考えたりもしております。

今年の講演は、詩人の佐々木幹郎さんです。高校時代の友人であり1967年10月8日の羽田闘争で亡くなった山崎博昭氏を追悼した第一詩集『死者の鞭』(70年刊)は、鮮烈な衝撃を与えるものでした。以後、詩人としてだけではなく、評論や紀行文でも大きな仕事されてきています。また、最近では、詩と音楽のコラボレーションに関わり、東京芸大出身者による音楽パフォーマンス集団『VOICE SPACE』を創設、シンガー・小室等さんとの共作など、多彩な活動をされています。震災の被災地支援活動も積極的になさっています。

今年の会場は築地の本願寺。前年までの会場が飲食できなくなりましたので移しました。本願寺は「(関東大)震災時に、築地本願寺も全焼しながら、酸鼻の被服廠跡へ僧侶たちは駆けつけて、死者供養と、生きのこりたちへの説教所、託児所もひらいた。さすがは大衆のただなかの浄土真宗。」(小沢信男「賛々語々17 震災忌」―『みすず』2011年9月号)です。

〇日時 2011年11月19日(土曜日)、13時~17時。
〇場所 築地本願寺本堂内講堂
東京都中央区築地3-15-1(TEL:03-3544-0551)

〇プログラム
第一部 佐々木幹郎「秋山清の世界(仮題)」、13時~15時。
第二部 懇親会   15時30分~17時。

〇会費  3500円 第一部のみ参加の場合は500円
☆受付は12時よりいたします。

□問合せ先 〒162-0801 東京都新宿区山吹町311  坂井事務所
FAX:03-3260-4263

アナキズム 第14号

ANA-14

『アナキズム』誌編集委員会 編
ISBN: 978-4-9902478-9-8
A5判並製・190p
2011年9月11日発行

《特集》テロル

  • 巻頭言 特集「テロル」によせて(津村  洋)
  • 9.11以後のアポリア──〈国家〉と〈テロ〉の断層( 久保 隆)
  • テロリズム雑感(川田 功)
  • ナロードニキとテロル(高橋幸彦)
  • 叙景──黒く塗り潰された「われわれ」のための(小林坩堝)
  • われは知る パレスチナのかなしき怒りを(志賀直輝)
  • 宣伝としての行動(ヨハン・モスト/森川莫人訳)
  • 革命的「性急さ」(エンリコ・マラテスタ/森川莫人訳)
  • 社会関係を爆破することはできない……でも、やってみると楽しいかも!(ボブ・ブラック)
  • “革命犯罪”としての大逆万歳! 奴隷根性を正す文体革命を訴える(前田年昭)
  • ラヴァショルの禁じられた抗弁(ラヴァショル)
  • 写真 大地の念(解説:白仁成昭)

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エスペラントとアナキズム

[この文章はWill Firthによって書かれたLexikon der Anarchie, Verlag Schwarzer Nachtschatten, Plön, 1998, ISBN 3-89041-014-6の記事の拡張版である。元の版はまた、1999年にMaldekstra Forumo Berlinoによって、“Esperanto und das internationale Sprachproblem”という小冊子のシリーズの1冊として発行されている。]

Ⅰ.定義

 国際的な言語エスペラントは、国際的な意志の疎通のために考案され創造された計画言語である。およそ1000種もの計画言語構想が知られているなかで、エスペラントのみが100年以上にわたって実際に使われ、有用性をもつことを証明されてきた。
 1887年7月、若いユダヤ人の眼科医のラツァルス・ルトヴィヒ・ザメンホフ(Lazarus Ludwig ZAMENHOF)(1859-1917年)は、国際的な言語のための練習問題のついた最初の教科書をワルシャワで発行した。疑い深い帝政主義者たちが検閲の目を光らせているなかで、彼は“エスペラント博士(Dr Esperanto)”という筆名を用いた。この本はロシア語で発行されたが、続けて、その同じ年のうちにポーランド語版、フランス語版、そしてドイツ語版も出された。ザメンホフの“国際的な言語”においては、エスペラントとは“希望する者”という意味である。ザメンホフは国際的な言語を創造することによって、諸民族の国際的な意志の疎通と、世界の平和をもたらすために貢献したいと希望していた。エスペラントという単語は、すぐに言語自体の名称となった。
 エスペラントは規則的であり融通性があるので、学ぶのが相対的に易しい。その正書法は音素的である。すなわち、文字と発音との間に一対一の対応関係がある。語のつづり方は規則的である。文法規則にはほとんど例外がない;広い用途をもつ接頭辞と接尾辞があって、高い精度と表現力を言語に与えている。語彙の大部分は、多くの言語の間に普及しているロマンス語とゲルマン語の語幹に基づく。人はエスペラントが話されているのを聞いたとき、普通、イタリア語かスペイン語のように聞こえるという印象をもつ。語彙がヨーロッパに起源をもつことから、たとえば、ドイツ語を話す人々にとってはエスペラントは難しくなくても、中国の人々にとっては難しいということは確かである。けれども中国の人々は、エスペラントはかなり易しいと、少なくとも英語よりはずっと易しいとみとめる。その理由は、広範な用法のもととなる合成語や派生語にある。変化することのない語の要素が語幹に付加されるから、意味をたやすく決定できるのである。この“膠着”という性質はまた、たとえばテュルク諸語にみられる単語形成上の特長である。それに対してドイツ語は屈曲語に属しており、語幹は不変ではない(たとえばHaus=Häuser{「家」の単数形と複数形};schreiben=schrieb{「書く」の不定詞と過去形の語幹}のように)。
 今日、エスペラントを話す人々の相互にゆるくつながった共同体には、最大で100万人のメンバーがいる。エスペラントの本(大部分はオリジナルの文学作品)が何万冊もあり、概して小さな定期刊行物が数百点あり、その多くは世界的規模で流通している。エスペラントによる専門家の組織の会合、会議、若者の集会、セミナー、休暇週間といった国際的な集まりがおこなわれない日はほとんどない。地域的な集まりも世界中でおこなわれている。また、いくつかのラジオ局はエスペラントの番組を放送しており、そのなかには一日単位での放送さえある。エスペラントはときには、異なる出自をもつカップルのための日常的な“家族言語”となり、その子どもたちはネイティブ言語として(居住する国の言語とともに、そして場合によってはほかの言語とともに)エスペラントを話す。エスペラントはそれが話される共同体の変化する要求に応じて発展していき、それに順応する。ほかの生きた言語のおのおのが、またそうであるように――語彙の借用と、存在している言語の資源による概念形成の両方をとおして――その相対的な平易さは失うことなく。というのも、概念の区別と表現力は、歴史的起源や言語に内在する要素によって左右されるのではなく、もっぱら、それが話される共同体のコミュニケーション上の要求に基づいて生じるからである。
 エスペラントについて言及するときには、“補助言語”あるいは“人工言語”といった概念がしばしば使われる。エスペラントが実用的な使い物になっている実際の範囲になじみのない人々に対して、これらの概念はときに誤った考えをもたらす。その言語は原始的であり貧弱であるはずで、その総体は、その“創造者”の知的な能力によって決定され、そしてそれはおそらく、ある一冊の本の二つの表紙の間におさまっているというのである。けれども、エスペラントを話す人々のほとんどはつねに、言語は集団的/コレクティブな過程をとおしてのみ、人間的な存在の全ての伝達上の要求に適するように発展できるということに気づいていた。エスペラントはたとえば、ハイチ・クレオール語と同じく、“何もないところから生じた”というわけではない。言語はそれが必要とされたときに、その必要に応じて出現する。

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バルナウル(ロシア)のアナキストたちが支援を必要としている!

2011年2月1日の夜、バルナウル[アルタイ地方]のアナキストたちがグラフィッティ・アクションを起こした。そこでは、今日のロシアの政治的エリートの代表者たちを、一列の「寄生虫たち」になぞらえて嘲笑した。「法秩序機関」(本質的には政治警察)が反応するまでに、長い時間はかからなかった。2月2日、反過激主義センター[CPE/Centre E]の職員たちが、2人のアナキストたち、サンディン・セルゲイとマルイシキン・ダニイルのアパートに押し入った。

活動家たちは警察の部署に送られ、1昼夜以上にわたって食べ物と水もなく、眠りも与えられずに留置された。この間ずっと、仲間たちは「全てのことを認め」、同志たちについての情報を「法秩序機関」に知らせるようにと圧力(物理的なものを含む)をかけられた。その結果、サンディン・セルゲイは警察の部署の中で喘息の発作を起こした(活動家たちのうち1人の拘束についての話は、ここで読むことができる[リンク省略])。

それ以降、「搜索」と呼ばれるものが行われ(搜索令状?には署名?さえなかった)、警察の職員たちが、活動家たちのいくつかの私物(その中にはコップ、マーカーペン、粘着テープ、その他の日用品が含まれる)を事実上盗み取った。

2月14日、レオノフ・ヴィタリーが仕事場の近くで捕まり、警察の部署に送られた。この件における3人目の容疑者である。

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炊き出しまっぷ、緊急避難場所 Meal Supply & Evacuation places

【東北】炊き出しまっぷ、緊急避難場所 Meal Supply & Evacuation places

災害情報 on Google

Googleの東北地方太平洋沖地震に関する災害情報をまとめたページ

東京都内避難マップ

大地震を受けて、Google マップに東京都内の避難場所一覧がつくられています。しかし東北の皆さんが心配です。

多文化学校・第4期第5回講座『朝鮮支配と大逆事件』

講師=白仁成昭さん(「アナキズム」誌編集委員、新纂「大杉栄全集」編集委員)

明治政府にとって、蝦夷地・琉球・朝鮮を全き影響下におくことは、当初からの目標でした。というより、林子平の「海防論」以来、政治を志すものたちの間で、これは常識といってもよい、認識でした。皆さんも蝦夷地支配の開拓使・屯田兵、琉球処分、西郷を中心とする征韓論騒動などをご記憶でしょう。日清戦争の勝利を契機に、この常識を疑うものたちが、一部のキリスト者、一部の仏教者、そして新興の社会主義者の間から出てきました。常識を疑うこと、そしてそれを行動にうつすことは、たいへんなエネルギーを必要としますし、また手本があるわけではありませんから、それこそ試行錯誤の道です。大逆事件の首謀者と見なされ、死刑となった幸徳秋水を軸に、その思想変遷のあとを辿ってみようと思います。

★日時=2011年2月22日(火)19時〜21時(18時30分開場)
★会場=大久保地域センター3F A会議室
 http://www2.odn.ne.jp/ookubo/
★参加費=1000円
★主催=多文化学校運営委員会
 http://blogs.yahoo.co.jp/tabunka20xx/folder/756533.html
★お問い合わせ=多文化学校事務局
 東京都新宿区大久保2-10-2-1F
 TEL 03-3205-7871 FAX 03-3205-7889
 Eメール:tabunka2007@yahoo.co.jp

インドネシアにおけるアナーキー

このインタビューは、“Von Jakarta bis Johannesburg – Anarchismus weltweit”(Sebastian KalichaおよびGabriel Kuhn編、Unrast Verlag社より2010年に刊行)というドイツ語の本に収録された。[この日本語訳では、ドイツ語版は参照していません。[ ]内は訳注です。]

 インドネシアでのアナキズムの歴史について教えてもらえますか?

MT: 私の友人たちから聞いた話や、私が学んできたことから知っている限りでは、インドネシアでのアナキズムは1998年頃に、パンク・ミュージックの到来とともに始まりました。当時はアナキズムといえばパンクの同義語で、そのコミュニティーの中の一部の人々が、アナーキーな思想と価値を深く掘り下げるようになりました。その時以来アナキストの論説は、パンク/ハードコアのコミュニティーの中の個々人や、コレクティブの間で発展しはじめました。そしてのちには活動家たち、学生たち、労働者たちのようなより幅広い諸集団の範囲へと、本質的に多様な背景をもつ大衆へと広がっていきました。

 アナキズムの論説が広がっていく間に、この話題をめぐって多くの議論が起こるようになり、アナーキーはより深く討論されたり、分析されたり批評されたりするようになりました(そしてこの流れは今日まで続いていて、より広い多様な分析の場をもつようになっています)。次の段階は、それを実践に移すことでした。たとえば、アナーキーな原則と価値(脱中心的で脱ヒエラルキー的であること、そしてコンセンサス)をもったコレクティブを形成することでした。それらのコレクティブには多くの問題があったとはいえ、このようなコレクティブのモデルは何か違ったものに見え、(政治的な領域でも非政治的な領域でも)ヒエラルキー的、中央集権的、そして権威主義的な形態や構造を通して、常に支配的であろうとするグループのモデルとは反対のものに見えたかもしれません。

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