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	<title>ONLINEアナキズム &#187; 翻訳</title>
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	<description>Website of Anarchism Zine in Tokyo</description>
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		<title>エスペラントとアナキズム</title>
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		<pubDate>Mon, 22 Aug 2011 02:51:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[翻訳]]></category>
		<category><![CDATA[エスペラント]]></category>

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		<description><![CDATA[［この文章はWill Firthによって書かれたLexikon der Anarchie, Verlag Schwarzer Nachtschatten, Plön, 1998, ISBN 3-89041-014-6の記 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="background:#f3f3f3; padding:1em">［この文章はWill Firthによって書かれたLexikon der Anarchie, Verlag Schwarzer Nachtschatten, Plön, 1998, ISBN 3-89041-014-6の記事の拡張版である。元の版はまた、1999年にMaldekstra Forumo Berlinoによって、“Esperanto und das internationale Sprachproblem”という小冊子のシリーズの1冊として発行されている。］</p>
<p>Ⅰ．定義</p>
<p>　国際的な言語エスペラントは、国際的な意志の疎通のために考案され創造された計画言語である。およそ1000種もの計画言語構想が知られているなかで、エスペラントのみが100年以上にわたって実際に使われ、有用性をもつことを証明されてきた。<br />
　1887年7月、若いユダヤ人の眼科医のラツァルス・ルトヴィヒ・ザメンホフ（Lazarus Ludwig ZAMENHOF）（1859-1917年）は、国際的な言語のための練習問題のついた最初の教科書をワルシャワで発行した。疑い深い帝政主義者たちが検閲の目を光らせているなかで、彼は“エスペラント博士（Dr Esperanto）”という筆名を用いた。この本はロシア語で発行されたが、続けて、その同じ年のうちにポーランド語版、フランス語版、そしてドイツ語版も出された。ザメンホフの“国際的な言語”においては、エスペラントとは“希望する者”という意味である。ザメンホフは国際的な言語を創造することによって、諸民族の国際的な意志の疎通と、世界の平和をもたらすために貢献したいと希望していた。エスペラントという単語は、すぐに言語自体の名称となった。<br />
　エスペラントは規則的であり融通性があるので、学ぶのが相対的に易しい。その正書法は音素的である。すなわち、文字と発音との間に一対一の対応関係がある。語のつづり方は規則的である。文法規則にはほとんど例外がない；広い用途をもつ接頭辞と接尾辞があって、高い精度と表現力を言語に与えている。語彙の大部分は、多くの言語の間に普及しているロマンス語とゲルマン語の語幹に基づく。人はエスペラントが話されているのを聞いたとき、普通、イタリア語かスペイン語のように聞こえるという印象をもつ。語彙がヨーロッパに起源をもつことから、たとえば、ドイツ語を話す人々にとってはエスペラントは難しくなくても、中国の人々にとっては難しいということは確かである。けれども中国の人々は、エスペラントはかなり易しいと、少なくとも英語よりはずっと易しいとみとめる。その理由は、広範な用法のもととなる合成語や派生語にある。変化することのない語の要素が語幹に付加されるから、意味をたやすく決定できるのである。この“膠着”という性質はまた、たとえばテュルク諸語にみられる単語形成上の特長である。それに対してドイツ語は屈曲語に属しており、語幹は不変ではない（たとえばHaus＝Häuser｛「家」の単数形と複数形｝；schreiben＝schrieb｛「書く」の不定詞と過去形の語幹｝のように）。<br />
　今日、エスペラントを話す人々の相互にゆるくつながった共同体には、最大で100万人のメンバーがいる。エスペラントの本（大部分はオリジナルの文学作品）が何万冊もあり、概して小さな定期刊行物が数百点あり、その多くは世界的規模で流通している。エスペラントによる専門家の組織の会合、会議、若者の集会、セミナー、休暇週間といった国際的な集まりがおこなわれない日はほとんどない。地域的な集まりも世界中でおこなわれている。また、いくつかのラジオ局はエスペラントの番組を放送しており、そのなかには一日単位での放送さえある。エスペラントはときには、異なる出自をもつカップルのための日常的な“家族言語”となり、その子どもたちはネイティブ言語として（居住する国の言語とともに、そして場合によってはほかの言語とともに）エスペラントを話す。エスペラントはそれが話される共同体の変化する要求に応じて発展していき、それに順応する。ほかの生きた言語のおのおのが、またそうであるように――語彙の借用と、存在している言語の資源による概念形成の両方をとおして――その相対的な平易さは失うことなく。というのも、概念の区別と表現力は、歴史的起源や言語に内在する要素によって左右されるのではなく、もっぱら、それが話される共同体のコミュニケーション上の要求に基づいて生じるからである。<br />
　エスペラントについて言及するときには、“補助言語”あるいは“人工言語”といった概念がしばしば使われる。エスペラントが実用的な使い物になっている実際の範囲になじみのない人々に対して、これらの概念はときに誤った考えをもたらす。その言語は原始的であり貧弱であるはずで、その総体は、その“創造者”の知的な能力によって決定され、そしてそれはおそらく、ある一冊の本の二つの表紙の間におさまっているというのである。けれども、エスペラントを話す人々のほとんどはつねに、言語は集団的／コレクティブな過程をとおしてのみ、人間的な存在の全ての伝達上の要求に適するように発展できるということに気づいていた。エスペラントはたとえば、ハイチ・クレオール語と同じく、“何もないところから生じた”というわけではない。言語はそれが必要とされたときに、その必要に応じて出現する。</p>
<p><span id="more-909"></span>Ⅱ．思想の歴史的展開</p>
<p>１．一般論</p>
<p>　意志の疎通のための言語としてのエスペラントとともに、ザメンホフはエスペラントの擬似宗教的な“人類人主義／ホマラニスモ”[近似訳：隣人愛、そして人類愛]を宣伝した。このかなり普及した概念は、リベラルでヒューマニスティックな考えに基づいている。それはたとえば、全ての人間は“家族”であり、再びその道を見つけなければならないという考え、全ての“世界宗教”は共通の起源をもち、お互いに調和に至ることができるという考えである。エスペラントを話す人々のいくらかはこれに興味を引かれ、違う方法でそれを解釈したが、他方で、エスペラントを話す多くの人々は、“人類愛”というザメンホフ的な流儀にはあまり動かされなかっただろう。<br />
　1887年にワルシャワで言語の計画が発表されたあと、はじめは主にロシア帝国のなかで、エスペラントは非常に急速に広がった。新しい言語による最初の文学作品の一つ（ザメンホフ自身の旺盛な文学活動や翻訳活動と並んで）に、ニコライ・ボロフコ（Nikolaj Borowko）が1892年に書いた墓穴のなかで（En la tombo）がある。生きたまま埋葬された者の苦痛を描いたものである。キリスト教徒でアナキストのレオ・トルストイ（Leo Tolstoj）は、エスペラントに賛成すると明確に述べている。1895年、唯一のエスペラントの雑誌に載せられたトルストイによる記事が、帝政主義者の検閲にひっかかり、雑誌が禁止されるに至ったとき、この“ロシアの時代”は突然に終わった。それに続くのは“フランスの時代”であり、1905年、最初の国際的なエスペラント会議がブローニュ＝シュル＝メール（Boulogne-sur-Mer）で開かれた（20の国々から688人が参加した）。その場でザメンホフは、運動の推進力としての地位から公式に退いた：これ以後、言語の発展は、エスペラント運動それ自身によって決定されることになった。<br />
　1905年、アナキストのポール・ベルトゥロ（Paul Berthelot）は、今日もなお出版されているエスペラントの月刊誌を創刊した。1908 年、ヘクター・ホドラー（Hector Hodler）は世界エスペラント協会（Universala Esperanto-Asocio）[UEA]を設立したが、それは今日まで、世界のたいていのエスペラント組織の活動を結合させている。UEAの本部はロッテルダムに置かれている。<br />
　第一次世界大戦までに、フランスではエスペラントの支持者が数多く生み出されていた。そこからそれは世界に、とくに日本と中国に広がっていくことができた。1921年には、エスペラントを使う運動で、解放の目的と非国民的／非民族的な構造をもつものが、ウジェーヌ・アダム（ランティ）（Eugène Adam（Lanti））の提案にしたがってプラハに設立された：国民性なき全世界協会（Sennacieca Asocio Tutmonda）[SAT]である。それは言語の社会的＝文化的な基盤を広げるのに、大きく貢献してきた。SATの本部はパリに置かれている。（Ⅱ．２．“エスペラントとアナキズム”も見ること。）<br />
　新たなエスペラントの開花期は、さまざまな国々で条件に応じて、10年ないし15年にわたって続いた：“ハンガリーの決まり文句”も断言されて、ブダペストを数年の間“エスペラントの文化的首都”[1]とした。しかし全体主義と軍事主義者の政権が優位に立ち、第二次世界大戦とさらには冷戦がもたらされるなかで、新たな躍進は何十年間にもわたって封じられた。戦後にはとくに、アングロ＝アメリカの言語と文化の拡張主義がその頂点に達し、その結果として、エスペラントはあまり注目を集めなかった。<br />
　1954年にはじめて、そして1985年に再び、ユネスコ（UNESCO）の総会で、国際的な知的交流のためのエスペラントの価値が承認された。1993年7月には、国際ペンクラブ世界大会がエスペラント・ペン・センター（エスペラントを使う作家たち）をメンバー組織として受け入れた。つまり、文学の言語としてエスペラントを認めたわけである。<br />
　エスペラントの全世界的な普及は平衡を欠いていた。最近の数年間の発展にもかかわらず、それはアフリカとアジアの多くの国々ではかろうじて存在するにすぎない。エスペラントを話す人々の大多数はヨーロッパに住んでいる。この事実のおかげで、エスペラントが“ヨーロッパ中心的”になっているかどうかは、エスペラント運動の内部でかなり頻繁に議論される主題である。しかし、エスペラントのもつ真に国際的な性格のために、それを純粋にヨーロッパのものであるとみなすことはできない。いくつかの国々（中国、イラン、トーゴ、コンゴ――かつてのザイール）での発展は、ときには驚くべきものになっているが、一方でほかの国々では今なお、組織されたエスペラント運動は全く見いだすことができない。<br />
　エスペラント運動の内部でとくに積極的な役割を演じているのは、UEAの若者組織のTEJO｛Tutmonda Esperantista Junulara Organizo｝である。それは世界エスペラント協会UEAと同じように、年次大会とほかの数多くの集会を組織している（ドイツの若者のエスペラント組織が年末年始に開く“国際セミナー”は、とくに言及する価値がある）。<br />
　今日のエスペラントの発展傾向の一つは“ラウミスモ（raŭmismo）”（1980年にTEJOの大会が開かれたフィンランドの都市、ラウマ（Rauma）から名づけられた）である。“ラウミスモ”ではエスペラントを話す人々を、一種の“ディアスポラの／離散した民族集団”と見て、エスペラントをとおして文化的価値（たとえば文学）を創造するよう努力している。それは普遍的な第二言語としてのエスペラントが、全世界的に受け入れられるようにするための“ラディカル”な努力に別れを告げ、かわりに、それを多くの言語の一つとみなす。人は必要に応じて、世界観に基づく野心をもたずにそれを使用することができる。<br />
　エスペラントの発展はある委員会、いわゆるエスペラントのアカデミー｛Akademio de Esperanto｝によって注視されている。アカデミーの任務は、ザメンホフが作成した基礎であるフンダメント（Fundamento）と一致する形で、言語がさらに発展するように配慮することである。アカデミーの決定は拘束性をもたず、むしろ、よく考慮された勧告の力を備えた方針のようなものである。実際にはアカデミーは、しばしばエスペラントの発展に遅れをとるし、内部の意見の相違のために、その時点で全員一致の勧告を出せないこともかなりある。<br />
　ときどきエスペラントは、性差別主義的だとして異議を申し立てられる。なぜなら――表面的な分析によれば――全ての女性形は男性形から導き出されるからである。一見したところ、このことはいくらかは真実であるように見える。というのもエスペラントでは、人間を表す語の女性形は、実際にいつも、基本形に-in-を追加することによって形成されるからである。たとえば、laborist-in-o ＝女性の労働者というように。とはいえ、エスペラントがドイツ語と根本的に異なるのは、文法的な性をもたないということである。自然の性をもたない全ての単語（たとえば椅子、壁、車）は、また文法的な性ももたない。言語の基本的な構造は性差別主義的ではないにもかかわらず、ある家父長制の社会では、エスペラントの実際の言語使用は、全く性差別主義的なものになるということにも注意しなければならない。男性の人間を表す語を形成することは現実に可能であるが、これはまれにしか使用されない。基本形はたいてい男性を表すと見られているからである；このことから、全ての女性形は（見かけ上は）男性形から導き出されるという、（根本的には間違っているが実際には正しい）批判点までは近い。言語の性差別主義を取り除くために、エスペラントにおいてもまたドイツ語においても、言語をより意識的に使うことが重要である!</p>
<p>２．エスペラントとアナキズム</p>
<p>　エスペラントを普及させた先駆者たちのなかにはアナキストたちがいた。1905年、ストックホルムで最初のアナキストのエスペラント・グループが設立された。ほかの多くのグループがそれに続いた：ブルガリアで、中国で、そしてほかの国々で。アナキストたちとアナルコ・サンディカリストたちは、第一次世界大戦の前には、プロレタリアのエスペランティストたちのなかで数的に最大の集団であり、1906年には国際的な協会である平和＝自由（Paco-Libereco）をつくった。それは『国際社会評論』（Internacia Socia Revuo）を発行した。平和＝自由は1910年に、べつの進歩的な協会であるエスペランティストの労働者群（Esperantista Laboristaro）と統合された。共同の組織は解放の星（Liberiga Stelo）と呼ばれた。1914年までにこれらの組織は、エスペラントによる革命的な文学作品を大量に出版したが、そのなかにはまたアナキストのものがあった。そして第一次世界大戦の前の時期には、たとえば、ヨーロッパと日本のアナキストたちの間で、活発な文通がおこなわれるようになったのである。1907年、アムステルダムで開かれた国際的なアナキストの大会で、国際的な言語の問題についての決議がおこなわれ、それから何年かの間、同じような大会で決議がおこなわれることになった。これらの大会に参加したエスペランティストたちは、とくにアナキストたちを国際的に結びつけることに従事した。ドイツではエスペラントは、とりわけ1920年から1933年にかけての時期に、労働運動のなかで広く使用された。1932年8月には、ドイツ労働者エスペラント連盟（deutsche Arbeiter Esperanto-Bund）｛Germana Laborista Esperanto-Asocio（GLEA）｝には4千人のメンバーがいた――そしてまた、エスペラントが愛情をこめて“労働者のラテン語”と呼ばれたのも、理由のないことではなかった。労働者エスペラント運動は多方面にわたる国際交流を生み出した：“労働者エスペランティストはまた、たいていは当時の政党の、文化的な、そして社会的な政治的運動に属していた。その任務は国際的な言語であるエスペラントを、国際的な範囲で、しかるべき協会の目的のために役立たせることにあるとみられていた（……）。労働者オリンピックの際にエスペラントは、異なる言語を話す諸民族の意志の疎通の手段として、重要な役割を果たした。その上さらにエスペラントは、たとえば労働者体操スポーツ連盟、労働者サマリア人連盟（……）そのほか多数の、労働運動のなかであらゆる政治的な、そして労働組合的な傾向をもつ文化的団体のために役立てられた”。『図解労働者エスペラント運動の歴史』（Illustrierte Geschichte der Arbeiter-Esperanto-Bewegung）、66ページ。<br />
　1921年8月には、15の国々から79人の労働者たちがプラハに集まった。彼らはすでに言及したSAT、今日でもなお活動的な反国民／反民族主義的な左派の組織を設立した。SATの活動は、1929年から1930年の時期に頂点に達した。当時は42の国々に6,524人の会員がいたが、1997年には会員は1,500人より少なかった。SATの設立と、その初期におけるブルジョワ的なエスペラント運動からの一貫した隔絶は、その時代の全般的な政治的発展の結果だった。それはまた、当時のブルジョワ的なエスペラント運動での、政治的中立主義の教条的な適用によってうながされたのだった。<br />
　1925年3月には“アナルコ・サンディカリスト・エスペランティスト・ベルリン・グループ（Berliner Gruppe anarcho-syndikalistischer Esperantisten）”が、アムステルダムで開催されていた国際労働者協会（IAA）｛英語の名称はInternational Workers’ Association（IWA）｝の第2回大会に挨拶した。グループはまた、IAAのドイツのセクションであるFAUDの戦列では、エスペラントは“すでにこのように足場を固めており、エスペランティストの世界組織を今、自由主義的＝反権威主義的な基盤の上に形成している”と話した。これはおそらく、T.L.E.S.[近似訳：全世界無国家エスペランティスト連盟]｛La Tutmonda Ligo de Esperantistaj Senŝtatanoj｝のことをほのめかしているとみられる。それは20年代に設立されたが、そのときSATは、初期には共産主義者の強い影響のもとにあった。どうやらT.L.E.S.は、のちにSATに吸収されたようである。<br />
　労働者エスペラント運動はドイツとソヴィエト連邦でとくに強力だった。とりわけ1923年には、ソヴィエトのウクライナで“国際的な言語の科学的アナキスト図書館”（I.S.A.B）｛Internacia Scienca Anarkiisma Biblioteko de la Internacia Lingvo｝が設立された。クロポトキンの『倫理学』、ボロヴォイ（Borowoj）の『アナキズム』、そしてほかの諸作品が、国際的な広がりをもつエスペラントでの読者のために出版された。この時代のアナキストのエスペランティストたちは、その活動をとりわけ極東で、中国および日本で繰り広げた。これらの国々ではアナキストたちのもとで、エスペラントは非常に早く大衆的な事柄となった。ほぼ2言語併用の雑誌がいくつか出版された。1913年から中国では、リウ・シーフー（Liu Shifu）｛師復／「劉」という姓は廃した｝（あだ名：Sifo）がLa Voĉo de l’Popolo[『人民の声』]｛中国語の誌名は『民聲』｝という雑誌を発行した。それはそもそも中国で最初のアナキストの雑誌だった。はじめはその中国語の部分の情報は、主に上で言及した『国際社会評論』からとられていた。リウ・シーフーは1915年にはもう死んだ。日本の最初のエスペランティストたちのなかにもまた、多くのアナキストたちと社会主義者たちがいた。彼らは繰り返し迫害にさらされた。1931年に『アナキスト』（La Anarkiisto）｛?｝という雑誌は、その編集部員が刑務所に入るとともに発行されなくなった。アナキストのエスペランティストたちは、ソヴィエトのエスペランティストたちへの1937年の迫害（Ⅱ．３．“弾圧”を見ること）の際に、多くのアナキストのエスペランティストたちが殺害されたり収容所へと追放されたりもしたとき、著しい弱体化を経験した。スペイン内戦（1936-39年）の間の国際旅団では、エスペラントは控え目な役割を演じた。1936年から1939年にはバルセロナで、I.L.E.S.（Ibera Ligo de Esperantistaj Anarkiistoj）｛イベリア・エスペランティスト・アナキスト連盟｝を通して、CNT／FAI｛Confederación Nacional del Trabajo（労働全国連合）／Federación Anarquista Ibérica（イベリア・アナキスト連盟）｝の週刊の情報公報が発行されていた。CNT／FAIのラジオ放送局は、エスペラントでの放送をおこなってもいた。<br />
　第二次世界大戦後、最初に組織的な仕事を始めたのはパリのグループだった。1946年から、それは『無国家人』（Senŝtatano）という定期刊行物を発行した。後年にもパリには活発なアナキスト・グループが生まれた。1981年、その主導のもとにラジオ・エスペラント（Radio Esperanto）が設立されることになった。それは今日でも自由ラジオ（Radio Libertaire）の周波数で、週ごとに1時間放送されている。リバタリアンの、そしてアナキストのエスペランティストたちはたいてい、そののちにSATのもとに組織されている。それらのアナキストの会員たちは、そこでいわゆる“フラクション”を形成して自律的に行動している。彼らは1969年に、『自由人の広報』（Liberecana Bulteno）を発行しはじめた。それは今日では、『自由人のきずな』（Liberecana Ligilo）という名前になっている。</p>
<p>３．弾圧</p>
<p>　エスペラントの歴史のなかには、妨害や誹謗中傷に加えて禁止や迫害もみられる。エスペラントはさまざまな政権から、“危険な言語”（まさにこの表題のついた作品は大いに推薦できるものであり、文献案内のなかにある）｛Lins, Ulrich, Die gefährliche Sprache, Gerlingen: Bleicher Verlag, 1988, ISBN 3-88350-023-2／ウルリッヒ・リンス著、栗栖継訳『危険な言語　迫害のなかのエスペラント』岩波書店、1975年｝とみなされた：1895年にはすでに、『エスペランティスト』（La Esperantisto）という雑誌の帝政ロシアへの輸入が禁止された；1922年、フランスの学校でのエスペラントの授業が禁止された；1935年、ドイツでエスペラントの授業（いわゆる“自由な学校”での任意選択科目）が禁止された；1936年、ドイツとポルトガルでエスペラントが禁止された；30年代の半ばからは、SATの出版物、それにアナキストの著作物は、もはやソヴィエト連邦のなかに入らなかった。スターリニストの弾圧の勢いがますます激しくなると、かつて強かったソヴィエトのエスペラント運動はますます制限された。1937年には素早い行動が起こされ、活動的なエスペランティストたちの多くは逮捕され、射殺されるか刑事収容所に送られた。エスペラントはそれ以後、“ブルジョワ的な国際主義とコスモポリタニズムの産物”として、社会的に追放され厳しく禁止された；1938年からは、ドイツに占領されて“故国に復帰”した全ての地域で、エスペラントは禁止された。<br />
　これらの禁止と迫害のために、エスペラント運動とそれによる国際的な言語の普及と発展は、相当大きく妨げられ抑制された。第二次世界大戦後、1945年の新たな始まりもまた、滑らかには進展していかなかった。スターリンの影響のもとで、1949年にドイツ民主共和国（旧東ドイツ）でエスペラント・グループが禁止され、続いて1950年にはハンガリーでも、1952年にはチェコスロバキアでも禁止された。スターリンの死後、1955年には、ポーランド、ブルガリア、ハンガリー、チェコスロバキア、そしてソヴィエト連邦で、1965年にはドイツ民主共和国でもまた、エスペラント運動はゆっくりと復活することになった。そこではエスペラント運動は、文化連盟の内部で組織的なものになることができた。</p>
<p>Ⅲ．エスペラントの重要性</p>
<p>１．リバタリアンの多彩さ／スペクトルのなかでの重要性</p>
<p>　リバタリアンの多彩さ／スペクトルにとってエスペラントが重要なのは、たとえば諸国家や大きなコンツェルンとは対照的に、草の根の民主主義的なグループや社会運動は、翻訳者や通訳のスタッフを維持することができないからに違いない――彼らは通例は、言語の援助はないままでやっていかなければならない。とぼしい資金は内容のある計画に使ったほうが、ずっと有意義なのである。（この認識のためにしばしば、継続的な国際的共同作業が全く育成されないという結果になる。）通訳された擬似コミュニケーションのもとでの権力関係もまた、アナキストの視点からいえば、非常に問題含みであるということが明らかになる。それに加えて、草の根の民主主義的なグループの教育上あまり優遇されなかったメンバーは、たいていは外国語の知識を十分にもっていないため、仕事の国際的な水準からほとんど完全に閉め出される。全体として、国際主義者ないし反国民／反民族主義者がかかえる完全に実際的な問題とは、どうすればさまざまな言語を話す人々の間で、妨げられない相互関係を、いつもはほとんど保証されないものを促進することができるかである。<br />
　エスペラントはこのような交流のために、まさしくアナキストたちに多くのものを提供することができるのだ。事実はしかし、ほかの運動や住民グループに比べて、アナキストたちはきっとエスペラントを、ほとんど集中的に手がけてはいない。SATの内部のリバタリアンのフラクションで、『自由人のきずな』（Liberecana Ligilo）[近似訳：“リバタリアンの結合”]という季刊の広報を出しているものがある。さまざまな言語や、異なったリバタリアンの流れからの翻訳を出版することをとおして、それはそのときどきの考えを、国際主義者たちの小さいが多様な読者層に届けることができている。<br />
　ドイツに住んでいるあるアナキストは、国際的な意志の疎通の障害に関して不平をいう：“多かれ少なかれお互いに孤立して、（わたしたちは）働きそして闘い、勝利と敗北について（わたしたちで）意見を交わすことなく、互いに支援しあったり励ましあったりしない。効果的な連帯の行動を可能にするために、同じような考えや目的をもつ人々と、地域を超えて接触を強化するということは、わたしたちの仕事の重要な構成要素であるべきだろう。”（『草の根の革命』183号、13ページ（Graswurzelrevolution Nr. 183, S. 13））。この観察は問題の核心を突いている：国際的な規模での連帯を実践し、私たちを結びつけるというわたしたちの試みは、たいていは非常に控え目な枠内にとどまっている。このことの主な原因の一つは、言語による意志の疎通の問題である。<br />
　国際的なリバタリアンの新聞や雑誌を読む人は、外国語の通信をうまく処理できないとか、通訳のある国際的な会合を組織することができないなどといった、グループの不平を比較的よく目にする。現在のところアナキストの勢力、自律的な勢力、そして草の根の労働組合の勢力による国際的な共同作業は、大部分は、たまたま持ちあわせている言語の知識の利用に基づいている。だからこういうことになる：グループのなかの誰かがXという言語を話せて、そのために、Xという言語の話される地域の人々か、その地域から来た人々との連絡を構築することができる。連絡を結ぶためのこのような方法は、自発的で有機的なものである。けれども、この偶然の原理による表面的な“実用”には、言葉に精通している“鍵となる人間”が何かの理由で永久に、もはや自由に使えなくなったときに、たちまち連絡が途絶えるという大きな弱さがある。連邦共和国で相対的に普及している英語の知識もまた、国際的な共同作業のための要求にはめったに適合しない。ここで、英語を話す能力はたいてい、長年にわたる学校での強制的な授業に基づいている。それは本質的には、アメリカ合衆国に対するドイツ連邦共和国の、親密な経済的、そしてイデオロギー的な結びつきを基礎としている。このことは、地球の全ての地域でこうなっているのではない。ともかく、英語は“ただ一つ”の国際語ではなく、最も普及している植民地的、または覇権的な言語であるにすぎない。<br />
　ドイツのエスペラント運動のなかのアナキストたちの割合は、人口一般のなかのそれに比べて多いとはいえない。彼らのエスペラント運動のなかでの位置は、全体として周縁的／マージナルなものである。一方にエスペラントを話すアナキストたちがおり、他方に非政治的あるいは“ブルジョワ的”にエスペラントを話す人々がおり、その間には双方の接触不安症があって交際が難しくなっている。リバタリアンやアナキストの多彩さ／スペクトルのなかでは、エスペラントがその外側でほとんど普及していないこの時点では、エスペラントを排他的に、あるいは非常に広範囲に使用しようという努力はなされていない。しかし、諸国家や経済的な関心による権力手段としての、ならびに社会的な選抜基準としての言語の機能、そして言語の選択についての理解が、運動のなかで十分に根づいたとき、エスペラントは追加的なコミュニケーションの手段として、実際に受容され得るのだ。</p>
<p>２．社会全体での重要性</p>
<p>　言語の障害を乗り越えて共同作業をしたり結びつきをつくろうとするとき、最も多様な関心をもつそれぞれのグループにとって、習得するのがたやすくて政治的に中立な、ある通用する言語をもつことは非常に有益だろう。ここではスペイン語、フランス語、英語、ロシア語、そして中国語のような“大きな”言語では不十分である。エスペラントを使えば、人は特定の国民的／民族的な言語にとらわれることなく、直接の接触を多方面で生み出すことができる。<br />
　エスペラントは単に、相対的に単純なコミュニケーションの手段であるだけではない、ということは強調しておくべきである。それにはいかなる“民族”にも、いかなる国家も“所属”しておらず、そのために、エスペラントを話す人々にはネイティブはほとんどいない。それゆえに、エスペラントへの所有要求を申し立てることは誰にもできない。このことは実際において、高い水準の伝達上の同権を意味する。その同権は“全知”のネイティブと、苦労させられる“よそ者”の間の摩擦に満ちた力学を打ち壊す。エスペラントはしたがって、最も高い水準の同権の相互関係を可能にし、それはエスペラントを話す多くの人々を活気づける。もしも、このことをすぐに経験的に理解できないなら、比較してみるといいかもしれない：このような状態はたとえば、ともかく英語を克服してある程度の自信をもった、ほかならぬ（たいていは教養のある）ドイツ人たちの多幸症にも似ている。彼らはそれによって、“全世界と話すことができる”という感覚をもつようになる。とにかくエスペラントはこの感覚をもたらし、そしてそれと結びつけられた、もう一歩先の具体的な可能性を――それは多くの異なったドアを開けることができる。まるで英語のほかに、同時にまたスペイン語、ロシア語、日本語、そしてほかのいくつもの言葉を学んだかのように。</p>
<p>Ⅳ．要約と批判</p>
<p>　すでに言及したように、“自然”なものだと思われているほかの言語とは対照的に、エスペラントはしばしば“人工言語”と呼ばれる。しかしながら、遅くとも国民的／民族的な国家原理の歴史的な凱旋行進のあとでは、“人工”の言語と“自然”な言語の相違はほとんど保持され得ない。というのも、それぞれの国民的／民族的な国家の言語は、強い規格化への衝動の影響のもとに置かれているからである。標準ドイツ語や標準フランス語のような諸言語はすでに何世紀も前から、法律、政令、そしてマス・メディアの影響をとおして規格化され、そして秩序づけられている。作家たち、語り手たち、そして全ての社会的な階層の創意に富んだ人々は、意識的に言語に影響を及ぼす。“自然”と“人工”の基準ははっきりしていない。そして、それにもかかわらず多くの人々は、固有の言語（あるいはまた、ほかの国民的／民族的な諸言語）が、“人工”のものと感じられ自動的に劣等であると評価されるほかのものより、自然のままであり優越しているという、部分的には民族的な偏見をいだいている。したがって、エスペラントが雑種の混成言語としておとしめられたり、下に向かって平均化する努力の隠喩として乱用されるのも、偶然ではない（“エスペラント＝ヨーロッパ（Esperanto-Europa）”[ヘルムート・コール（Helmut Kohl）]を参照のこと）。エスペラントは1887年以来、かなりの部分まで、自発的に発展しているということを強調しておかなければならない。<br />
　Claude Pinonはエスペラントに対する心理学的な反応の研究のなかで、無意識的な不安の興味深い分析を提供する：“……エスペラントはある世界で（に入って）平和を乱すものである。その世界では、それぞれの民族にある言語が割り当てられており、意志の疎通の手段が今まで、ある総体として先祖から伝えられており、各人はそれに手を触れてはならない。エスペラントが提示するのは、言語は過去の諸世紀の贈り物である必要はなく、むしろ単なる協定からも生じることができる、ということである。エスペラントにとって、正確さの基準となるのは権威との一致ではなく、むしろ伝達上の有効性であり、そしてそれは相互関係の方法を変える：ある垂直の軸があったところに、それは今やある水平の軸を置く。それによってエスペラントは、深いところにある、普段は進んで光を当てられることのない多くのものをかき混ぜる。たとえば、諸言語の階層構造はどうなるだろうか?　アイルランド語、オランダ語、フランス語、そして英語は、多くの人々の意識のなかで（……）同一の水準にはない。もしも今や、さまざまな言語を話す人々が、互いの意志の疎通のためにエスペラントを採用するとすれば、言語の階層構造はその基礎を失う。”（11ページ）<br />
　エスペラントはまた、ヨーロッパ中心的なものとして非難される。（奇妙なことに、そのように批判する人はしばしば、たとえば英語、あるいはスペイン語をもって国際的な意志の疎通のための言語とし、そのことによって面目を失う）。このような批判は本当の核をもっている：言語学的にはエスペラントは、多くの観点からいって、インド＝ヨーロッパ語族の言語から作り出されたとみられる。エスペラントはまた東ヨーロッパから始まり、そして今日も、エスペラントを話す人々の大多数は、相変わらずヨーロッパに住んでいるという事実をとおして、ある程度はヨーロッパ的な特徴を保っている。しかしエスペラントは、さまざまな（インド＝）ヨーロッパ的ではない刺激を、その発展の過程で受容している。この投稿記事のなかのさまざまな指摘が裏づけているように：たとえば、日本や中国での強い定着、その発展における“ハンガリーの時代”[2]、あるいはインド＝ヨーロッパ語族の言語としては典型的なものではない、“膠着”という単語形成上の性質など。<br />
　多くの人々は、エスペラントは支持するに値するものだと思いつつ、実用的な理由のためにエスペラントを学ぶことを断念する。彼らはそのかわりに、貴重な自由時間をある“大きな”、そして実用的であると思い込んだ言語を学ぶために役立てる。ほかのエスペラントの同調者たちは、一方で、今日の世界での英語の優位を眼前にしての無力感から、言語を習得して盛んに利用することに打ち込むのを思いとどまる。エスペラントを学びそれを実践するには、今までずっと、かなり大きな理想主義が必要だった。<br />
　エスペラントを話す人々に関しては間違った情報もある。そこで信じられているのは、彼らがエスペラントを、衝突と戦争の万能薬とみなしているということである；さらに人は、ジャーナリストたちがときには、エスペラントは死んでいるという噂を撒き散らすのに出くわす。エスペラントの未来について推測することは無意味である。強調しておくべきことは、エスペラントは存在しており、エスペラント運動は数の上では安定しているということ、そしてエスペラントは盛んに使用されている（世界的な尺度からみれば、限定されたものではあるが）ということである。アナキストたちの間でも、やはりそうである。</p>
<p>書誌<br />
｛省略します。｝</p>
<p>[1] Spomenka Štimec, Tibor Sekelj, Pioniro de la dua jarcento,Vienna1989.<br />
[2] ハンガリー語がインド＝ヨーロッパ語族の言語ではないということは知っておく価値がある。それはむしろフィン・ウラル語族に属する。それらの言語は構造上、インド＝ヨーロッパ語族の言語とは本質的に異なっている。</p>
<p>原文：<br />
<a href="http://home.arcor.de/gmickle/leag/t_anarchismus.html" target="_blank">http://home.arcor.de/gmickle/leag/t_anarchismus.html</a></p>
<p>英語版：<br />
<a href="http://home.arcor.de/gmickle/leag/t_anarchism.html" target="_blank">http://home.arcor.de/gmickle/leag/t_anarchism.html</a></p>
<p>エスペラント版：<br />
<a href="http://www.nodo50.org/esperanto/anarkiismo.htm" target="_blank">http://www.nodo50.org/esperanto/anarkiismo.htm</a></p>
<p>（文中の[ ]内は原著者、｛ ｝内は訳者です。）</p>
<p>（翻訳／I）</p>
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		<title>バルナウル（ロシア）のアナキストたちが支援を必要としている!</title>
		<link>http://anarchism.sanpal.co.jp/news/874/</link>
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		<pubDate>Sun, 08 May 2011 05:54:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュース]]></category>
		<category><![CDATA[翻訳]]></category>
		<category><![CDATA[バルナウル]]></category>
		<category><![CDATA[ロシア]]></category>
		<category><![CDATA[弾圧]]></category>

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		<description><![CDATA[2011年2月1日の夜、バルナウル[アルタイ地方]のアナキストたちがグラフィッティ・アクションを起こした。そこでは、今日のロシアの政治的エリートの代表者たちを、一列の「寄生虫たち」になぞらえて嘲笑した。「法秩序機関」（本 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>2011年2月1日の夜、バルナウル[アルタイ地方]のアナキストたちがグラフィッティ・アクションを起こした。そこでは、今日のロシアの政治的エリートの代表者たちを、一列の「寄生虫たち」になぞらえて嘲笑した。「法秩序機関」（本質的には政治警察）が反応するまでに、長い時間はかからなかった。2月2日、反過激主義センター[CPE／Centre E]の職員たちが、2人のアナキストたち、サンディン・セルゲイとマルイシキン・ダニイルのアパートに押し入った。</p>
<p>活動家たちは警察の部署に送られ、1昼夜以上にわたって食べ物と水もなく、眠りも与えられずに留置された。この間ずっと、仲間たちは「全てのことを認め」、同志たちについての情報を「法秩序機関」に知らせるようにと圧力（物理的なものを含む）をかけられた。その結果、サンディン・セルゲイは警察の部署の中で喘息の発作を起こした（活動家たちのうち1人の拘束についての話は、ここで読むことができる[リンク省略]）。</p>
<p>それ以降、「搜索」と呼ばれるものが行われ（搜索令状?には署名?さえなかった）、警察の職員たちが、活動家たちのいくつかの私物（その中にはコップ、マーカーペン、粘着テープ、その他の日用品が含まれる）を事実上盗み取った。</p>
<p>2月14日、レオノフ・ヴィタリーが仕事場の近くで捕まり、警察の部署に送られた。この件における3人目の容疑者である。<span id="more-874"></span></p>
<p>アクションによってもたらされた物質的な損害は些細なものであるし（広告の板が「ぼろぼろになった」ために1,000ルーブルの損害）、ヴィタリー、セルゲイそしてダニイルがそれに関与したという直接の証拠は存在しない。それにもかかわらず、反過激主義センター[CPE／Centre E]の職員たちは、ロシア連邦刑法の第213条2項（政治的な憎悪を動機とするフーリガン行為、事前の陰謀に基づいた完全な集団によるもの）の罪にあたるとして彼らを起訴した。この犯罪に対する刑罰の上限は、<strong>7</strong><strong>年間の自由の剥奪</strong>である。</p>
<p>弁護士への支払いのために、レオノフ・ヴィタリー、サンディン・セルゲイそしてマルイシキン・ダニイルはお金（合わせて120,000ルーブル）を必要としている。これは仲間たちにとっては高すぎる金額である。というのも、彼らのうち2人は学生であり、その家族は裕福ではない。</p>
<p>[以下は英語版からの訳・引用です。]</p>
<p>さらに詳しい情報を得るために、あなたは次のアドレスにメールを出すことができる。仲間たち自身があなたに答えるだろう：</p>
<p>DANIIL MALISHKIN <a href="mailto:bonk46@gmail.com">bonk46@gmail.com</a><br />
SERGEY SANDIN <a href="mailto:enottwentytwo@gmail.com">enottwentytwo@gmail.com</a><br />
VITALIY LEONOV <a href="matilto:leonow85@gmail.com">leonow85@gmail.com</a></p>
<p>ほんの1ヶ月前、彼らは子どもたちの家のためにお金を集めようと、ハードコア・コンサートを組織した。そして今度は、われわれはあなたに助けを求める。なぜなら、われわれの誰もが、弾圧を受けることがありうるのだから。</p>
<p>Transfers for Barnaul anarchists under examination:</p>
<p><em>Web Money<br />
</em>R883295499137 (RUB)<br />
Z102747368586 (USD)<br />
E329649787161 (EUR)</p>
<p><em>Yandex Money<br />
</em>41001276209779</p>
<p><strong><em>Alfa-Bank</em> (EUR)</strong></p>
<p>Beneficiaru s bank Alfa-bank, Moscow, Russia<br />
S.W.I.F.T.  ALFARUMM<br />
Beneficiaru ms. Gain Olga Aleksandrovna<br />
Account number 40817978308960001123<br />
Correspondent bank of beneficiaru s bank COMMERZBANK AG, Frankfurt am Main<br />
S.W.I.F.T.  COBADEFF<br />
Acc. With corresp / Bank № 400886894501 EUR</p>
<p><strong><em>Alfa-Bank </em>(USD)<br />
</strong>Beneficiaru s bank Alfa-bank, Moscow, Russia<br />
S.W.I.F.T.  ALFARUMM<br />
Beneficiaru ms. Gain Olga Aleksandrovna<br />
Account number 40817840308960001497<br />
Correspondent bank of beneficiaru s bank WELLS FARGO BANK N.A.<br />
S.W.I.F.T.  PNBPUS3NNYC<br />
Acc. With corresp / Bank № 2000193651652 USD</p>
<p><strong>さらにあなたは、この情報を広めることで、ダニイル、セルゲイそしてヴィタリーを助けることができる。<br />
</strong><strong>ありがとう！<br />
</strong><strong>連帯はわれわれの武器！</strong></p>
<p><strong></strong>（原文／ロシア語・英語・フランス語・ドイツ語）<br />
<a href="http://anarhobarnaul.org/barnaulskim-anarxistam-nuzhna-pomoshh/" target="_blank">http://anarhobarnaul.org/barnaulskim-anarxistam-nuzhna-pomoshh/</a></p>
<p>（グラフィッティの写真）<br />
<a href="http://anarhobarnaul.org/passajiri-2/" target="_blank">http://anarhobarnaul.org/passajiri-2/</a></p>
<p>（シベリアのインディメディア）<br />
<a href="http://imc-siberia.org/ru/node/7020" target="_blank">http://imc-siberia.org/ru/node/7020</a></p>
<p style="text-align: right;">（翻訳／I）</p>
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		<title>インドネシアにおけるアナーキー</title>
		<link>http://anarchism.sanpal.co.jp/translation/846/</link>
		<comments>http://anarchism.sanpal.co.jp/translation/846/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 26 Jan 2011 01:42:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[翻訳]]></category>
		<category><![CDATA[Food Not Bombs]]></category>
		<category><![CDATA[インドネシア]]></category>

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		<description><![CDATA[このインタビューは、“Von Jakarta bis Johannesburg – Anarchismus weltweit”（Sebastian KalichaおよびGabriel Kuhn編、Unrast Verla [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>このインタビューは、“Von Jakarta bis Johannesburg – Anarchismus weltweit”（Sebastian KalichaおよびGabriel Kuhn編、Unrast Verlag社より2010年に刊行）というドイツ語の本に収録された。[この日本語訳では、ドイツ語版は参照していません。[ ]内は訳注です。]</p>
<p>　インドネシアでのアナキズムの歴史について教えてもらえますか?</p>
<p>MT：　私の友人たちから聞いた話や、私が学んできたことから知っている限りでは、インドネシアでのアナキズムは1998年頃に、パンク・ミュージックの到来とともに始まりました。当時はアナキズムといえばパンクの同義語で、そのコミュニティーの中の一部の人々が、アナーキーな思想と価値を深く掘り下げるようになりました。その時以来アナキストの論説は、パンク／ハードコアのコミュニティーの中の個々人や、コレクティブの間で発展しはじめました。そしてのちには活動家たち、学生たち、労働者たちのようなより幅広い諸集団の範囲へと、本質的に多様な背景をもつ大衆へと広がっていきました。</p>
<p>　アナキズムの論説が広がっていく間に、この話題をめぐって多くの議論が起こるようになり、アナーキーはより深く討論されたり、分析されたり批評されたりするようになりました（そしてこの流れは今日まで続いていて、より広い多様な分析の場をもつようになっています）。次の段階は、それを実践に移すことでした。たとえば、アナーキーな原則と価値（脱中心的で脱ヒエラルキー的であること、そしてコンセンサス）をもったコレクティブを形成することでした。それらのコレクティブには多くの問題があったとはいえ、このようなコレクティブのモデルは何か違ったものに見え、（政治的な領域でも非政治的な領域でも）ヒエラルキー的、中央集権的、そして権威主義的な形態や構造を通して、常に支配的であろうとするグループのモデルとは反対のものに見えたかもしれません。<span id="more-846"></span></p>
<p>　フード・ノット・ボムズ＝Food Not Bombsのような行動は、ここでのアナーキーの実践から早くに現れた直接行動の一つとみなすことができます。一方ではジンや、ニュースレター、パンフレットなど他の出版物の発行がありました。はじめは、ジンのテーマや論点は主にパンク／ハードコアに関連するものでしたが、時が経って流れが発展するにつれて、フェミニズム、アナーキーな価値、反資本主義、世界的および社会的な抵抗、アナキズムの変種、環境および動物の運動、政治的なニュース、そしてその他、のようなテーマや論点が現れるようになりました。アナーキーの前進は、インターネットのアクセスの増大する諸水準によっても助けられています。インターネットというメディアは、私たちの友人たちによって、アナキストの論説についての情報を普及させるために使われています。</p>
<p>PM：　私がまず最初に言わなければならないと思うのは、インドネシアの人々は英語という言語に慣れてはおらず、したがってインターネットが広がりはじめた当時でも、アナキズムとは何かということを理論的に理解していたのは、アナルコ・パンクの第一世代全体の中の一握りの人々にすぎなかったということです。しかし、その頃に荒れ狂っていた経済的、政治的そして社会的な状況のせいもあって、何かをしたいという衝動が形成されました。私たちは誰なのか、ということについて理解したいという渇望は、第一世代のほとんど半数をPRD（Partai Rakyat Demokratik、つまり人民民主党＝People’s Democratic Party）というレーニン主義者の政党に向かわせました。私たち自身の言語では、多くのものを参照できなかったために、私たちの選択肢は多くはありませんでした。バクーニン＝Bakunin、エマ・ゴールドマン＝Emma Goldman、ルドルフ・ロッカー＝Rudolf Rockerによって書かれた、いくつかのアナキストのパンフレットがありました。それらは何人かのアナキストの友人たちによって訳されて、広く配布されていました。しかし、それらはあまり助けにはなりませんでした。古典的な思想家が書いたことは、私たち自身の場所と時代についての私たちの理解とはほとんどつながらないからです。たとえば、その当時のインドネシアの歴史は、たった二人の大統領[スカルノとスハルト]しか経験していなかったのですから、政府の悪というものについて、私たちは本当にどのように理解することができたでしょうか?　私たちはポスト植民地の国家であり、国家とは当然に悪であるという確信とともに、するべきことがたくさんあります。</p>
<p>　2001年頃、一人また一人と燃え尽きて党を離れました。しかし私たちの多くは、することが可能なように見える唯一のこととは、まさにレーニンが言った方法であるという理解をもったままでした：一つの旗じるしの下での革命、過渡期の政府、そしてあれやこれやの騒動。私たちはまたアナキストとして、国家もやはり組織立った敵であると信じはじめたために、多くの人々から異常者として扱われました。他の人々はインドネシアという国家がより大きな権力をもち、国際的に発言力をもつことを要求しますが、私たちは国家と全ての役人たちもまた、私たちの敵であると宣言します。そして今度は、第一世代の活動と混乱の結果として、自らをアナキストであると認める第二世代が生まれました。この第二世代は急速に、アナキズムについてのより深い理解をもち、そしてレーニン主義との違いを指摘できます。あるいは私に言わせれば、この世代は第一世代の失敗から学んでいます。</p>
<p>　今日の状況はどうですか?　インドネシアでのアナキズムの主なグループと潮流は何ですか?</p>
<p>JC：　私が知る限りでは、インドネシアには優勢なグループはありません。ただいくつかのコレクティブがあり、さまざまな背景をもった個々人がいて、傾向の異なる幅のあるアナキズムを追い求めています。この方法論の違いから討論が起こることも少なくありませんが、しかしこの討論は、それにかかわるコレクティブや個々人の間に敵意をもたらしはしません。異なる背景やさまざまなアナキズムをもつこれらのコレクティブや個々人が、同じプロジェクトに参加するようなる機会さえ、いろいろあります。メーデー2007と2008はその例です。いろいろな都市のいくつかのコレクティブと個々人が、メーデー2007という行事の計画に加わることになりました。参加したコレクティブは：Affinitas（ジョグジャカルタ＝Yogyakartaのコレクティブ）、Jaringan Otonomis[自治/自律ネットワーク]（ジャカルタのコレクティブ）、Apokalips（バンドン＝Bandungのコレクティブ）そしてJaringan Autonomus Kota[都市自治/自律ネットワーク]（サラティガ＝Salatigaのコレクティブ）。これらのコレクティブとは別に、バリ＝Baliやスマラン＝Semarangなどいろいろな都市の個々人も参加し、またジャカルタのパンクのコレクティブの人々も加わりました。参加したコレクティブと個々人は、自分たちのことをJaringan Anti-Otoritarian（反権威主義ネットワーク）と名付けることにしました。メーデー2007では、行動に参加した人の数は100人余りに及び、その全てが黒い服を着ていました。その時にJaringan Anti-Otoritarianが持ち込もうとしていたメッセージとは、メーデーの再定義でした。というのも当時のメーデーとは、左派のグループと個々人が支配する行事だったからです。その日のJaringan Anti-Otoritarianの行動は成功したと言うことができます。当時は存在していないと思われていたアナキストの運動が、それから注目を浴びるようになりました。</p>
<p>　メーデー2007の後、アナキストの運動は燃え上がりはじめました。異なる都市で、いくつかの新しいグループが現れました。アナキストたちはまた、たとえば原子力発電所の建設に抗議する行動などに、より一層参加するようになりました。</p>
<p>　メーデー2008が近づいてくると、異なる都市のコレクティブと個々人の間の調整が再び活発になりました。この調整は二つの経路を通して行われました：インターネット経由と、顔と顔を合わせる集まりを通してです。この時期には参加する人の数が増大しました。残念ながらこの頃には、Apokalips（バンドンのコレクティブ）とSindikat Melawan[抵抗する組合]（サラティガのコレクティブ）が、いろいろな理由のために活動から抜けました。調整は混乱したように見えましたが、Affinitas（ジョグジャカルタのコレクティブ）やジャカルタのコレクティブ、それに異なる町の何人かの個々人たちは、それでもなんとか行動をやり抜こうとしました。前年のように、メーデー2008の行動はジャカルタで行われました。パンカーたちを含めて200人もの人々が参加しました。企業による虐待/酷使という問題に焦点を当て、バクリー・ビル＝Bakrie Buildingを行動の標的にしました。財界の権力者であり政治家であるアブリザル・バクリー＝Aburizal Bakrie[バクリー財閥のかつての総帥、メーデー2008の当時はユドヨノ政権の国民福祉担当調整相、2009年にゴルカルの党首となる]が所有するこの建物は、さまざまな企業のオフィスになっています。一部の参加者たちがバクリー・ビルを破損し、それから間もなく警察が来て鎮圧を始めました。何人かの参加者たちが力づくで逮捕されました（もっとも、そのうち何人かは、他の参加者たちによってうまく解放されました）。できる限りの抵抗をした後で、参加者たちはデモを続けましたが、あいにく警察が大人数で戻ってきました。そして行動に参加した人々は全員逮捕されました。</p>
<p>　メーデー2008以後、拡大していたアナキストの運動は衰えはじめました。いくつかのコレクティブが崩壊したりもしました。しかしそのことは、アナキズムが死んだことを意味してはいませんでした。新しいコレクティブと個々人、また、すでに長らくインドネシアのアナキストの運動に関わってきた人々が、ネットワークを作りはじめ、そしてさまざまな場所で、企業の手によって苦しめられている人々とともに行動するようになりました。今日までに少なくない数のアナキストたちが、企業や国家に対する人民の闘争に参加しています。一部のアナキストたちは、警察の部署[交番?]を攻撃したりショッピング・センターに損害を与えるなど、より好戦的な行動さえとりはじめています。</p>
<p>MT：　JCさんの答えの中で、グループのダイナミズムについての表現が多く出てきたので、私も現在の状況についてより多く答えようと思います。</p>
<p>　今日のアナキズムの状況は、まだ進行中の過程であるということができます。そして私が思うには、それは二つの分野に分けることができます。一つは論説と理論の分野であり、もう一つは実践です。</p>
<p>　論説と理論の分野では、近頃では、議論され分析される話題は資本主義から始まって、仕事、セキュリティー文化、文明化、哲学、メディア、消費者主義、宗教、ジェンダー、企業、自由な連合の形態、日々の生活とインドネシアという文脈でのアナーキーに関連することなど、ますます広い範囲に及んでいます。この議論は直接的にも（授業、映画上映、定期的な議論、グループの議論、開かれた／公的な議論）、あるいは間接的にも（メーリングリスト、Eメール、本、雑誌、パンフレット、ジン、ニュースレター、ウェブサイト、ブログ）行われています。けれども、私は現時点では企業、資本主義、社会的な抵抗、そして直接行動が、アナキストの世界で熱い話題になってきていると感じます。私は一人の女性として、女性たち、身体、セクシュアリティー、セクシュアル・オリエンテーション、そして個人的な関係性をめぐる問題が、十分に議論されていないと理解しています。そのために私は、この問題をさまざまな方法で、多様なメディア（直接行動、批評、著作、芸術作品）を通して提起しようと努めています。そして今、私は反逆する性器についての小説を準備しています。フィクションを通じて私のメッセージがより簡単に受け入れられ、理解されることを望んでいます。</p>
<p>　また最近では、女性たちによる似たような種類の著作が増えており、「サストゥラ・ルンディル＝sastra lendir[粘液の文学]」として知られてきているところです。それらは性的な自由（女性たちのセクシュアリティー、レズビアンおよびゲイ）に関するものですが、まだその背後にある関係性や価値、たとえば権力、支配、統制などには焦点が合わせられていません。</p>
<p>　実践の水準について言うなら、近頃ではますます多くの友人たちが、フード・ノット・ボムズ、スキル・シェア、街頭キャンペーン、そしてデモ（企業の虐待/酷使、警察の暴力、消費者主義、資本主義などについての）、さまざまなこと（自由な学校、読書空間、インフォショップのような）をめざすコレクティブの設立、DIY祭り、アナキストのアプローチに従って、企業による虐待/酷使を受けた人々とともに組織を作ること、そしてまたサボタージュのような、アナーキーな価値に基づいた直接行動を行っています。アナキストたちの存在とその論説および活動は、より大きなグループからますます「注目」されるようになっていると言えます。そしてもちろんそのために、とくに抵抗運動を支配する権威主義的な左派の世界（マルクス・レーニン・毛沢東・チャベス主義者の活動家のグループ）で、多くのダイナミズムと討論が発生しています。この「左派」の世界の中には、アナキストの理論、哲学および行動についての誤りと誤解が数多く存在しています。私にはそのことが理解できます。というのも、左派のグループはいつでも、イデオロギーを自らの「政治的な闘争の道具」としか見ていないからです。一方でアナキストたちは、イデオロギーとは何かとても哲学的なもので、個人的（何か私たち自身の中に内面化されたもの）なものであるために、個人的な、関係性もしくは日々の生活の中で、あるいは社会的なそして政治的な闘争の中でも、それぞれの文脈の範囲内にそれを適用することができるということを理解しています。同時に私は、アナキストの論説について知りたいというもっと広い範囲に及ぶ欲望が、他の個々人やグループから出てきていると感じます。このことは質問の増加や、アナーキーの思想に引かれるようになった友人たちから見て取ることができます。</p>
<p>　アナキストの活動に女性たちが参加することは、まだ大変少ないです。私が「闘争」を始めて以来おおよそ10年の間、このことは私にとってやっかいな問題でありつづけています。私は女の友人たちを支援し励まそうと、非常にしばしば努力してきたつもりですが、いつも途中で止まり、そして彼女たちの大部分は「監獄」に帰ることを選びます。彼女たちは結婚して家族を作ることを選ぶか、あるいは働くことを選ぶか、あるいは女性のNGOで働くことを選びます。私が住んでいる社会では、家父長制的で性差別的な価値や実践が、まだとても強い影響力をもっており、ほとんどあらゆる文脈（家族、恋人たちの関係性、友情、コミュニティー、組織、学校、仕事、社会、宗教など）の中に現れており、たぶんそのことが、状況がこうなっていることの一つの理由のようです。インドネシアでは女性たちのラディカルな運動の歴史が、ほんの少ししかありません。PKI（Partai Komunis Indonesia、インドネシア共産党）の時代を通じて、一つの運動が存在していました。それはPKIに含まれていた女性たちの組織で、グルワニ＝GERWANI（Gerakan Wanita Indonesia、インドネシア女性運動）として知られています[グルワニはPKIと密接な関係にあったが、独立した組織だったとされる]。この運動は1965年から66年に、国家がPKIの口を封じる間に破壊されました[1965年のクーデター（9月30日事件＝G30S）の後、その首謀者と見なされた共産党が徹底的に弾圧されたことを指す。十万人単位の人々が殺されたといわれるが、詳細は現在でも不明]。PKIまたはコミュニズムに関連するあらゆることは、すでにインドネシアの社会に深いトラウマを残しています。そしてこのことはまた、権力側のプロパガンダの道具や脅迫として、あらゆる形態の人民の闘争を鎮圧するために使われてきています。「おまえは1965年に起きたことが、もう一度起きてほしいとは思っていないだろうな?」　この時以来、女性たちの運動やラディカルな個人の女性たちはほとんど存在せず、近頃「女性たちの運動」と呼ばれているものは、大部分、女性たちのNGOや左派の組織に集中しています。それらは妥協を繰り返しており、国家のコンセプトを促進する立場にあります。</p>
<p>　誤解：またアナーキーを信じて、それぞれの生活の中でそれを生きている友人たちの中にも、しばしば討論や意見の違いがあり、その友人たちはまだ、自らを組織してグループを作ることがうまくできず、毎日の関係性の中で、アナキストの価値や原則についての誤解がまだ存在している（たとえばヒエラルキー、支配や性差別がまだ存在する）とも私は思います。しかし、私はまたこのことを、私たちが学ぶ過程の一部であると理解することもできます。</p>
<p>　情報や文献に接近する方法の不足：そのこととは別に、アナキストの情報源や文献はまだ非常に少なく、利用することが困難だと私は思います。利用できる情報の大部分は英語（または他の言語）のものであり、あるいはウェブサイトから入手できますが、しかしインターネットへのアクセスも、本や英語という言語へのアクセスも、まだ私たちの社会では広く行き渡ってはいません。多かれ少なかれInstitut-A InfohouseとCommunity Centerは、アナキストの文献にアクセスするための空間が必要だという、その理由のために始められました。</p>
<p>　今日のアナキストたちにインスピレーションを与える歴史上の運動が、インドネシアには何かありますか?　たとえその運動が、自らのことを「アナキスト」だと認めてはいなかったとしても。</p>
<p>JC：　いくつかの運動が存在しています。それらは決して、自らをアナキストとは認めてはいませんが、それにもかかわらず本当にインスピレーションを与えます。ブロラ＝Bloraやパティ＝Patiなどでは、アナキストたちはSedulur Sikep運動（サミン＝Saminの人々として知られる）[日本では「サミン運動」として知られる]からインスピレーションを受けています。社会的な対抗運動で、オランダの植民地だった時代から存在しているものです。けれどもこれは、かつて地域的な規模で活発になっていただけです。インドネシアの社会的かつ政治的な運動からは、インスピレーションを得られないと感じるアナキストたちもたくさんいます。さまざまな理由から一部のアナキストたちは、インドネシアでの闘争の歴史を掘り下げようと真剣に試みています。それらの闘争は、はっきりとアナキストとは自認していないものの、やはりアナキスト的な特徴をもっています。</p>
<p>MT：　私はSedulur Sikep（サミン）運動とその哲学について、より完全な形で答えてみたいと思います。</p>
<p>　Sedulur Sikepの教えは、Samin Surosentiko（1859-1914）[日本では主にサミン・スロンティコ＝Samin Surontikoとして知られる]によって広められました。それは19世紀、植民地だった時代のインドネシアで、オランダの植民地的な文化と、資本主義を拒絶するための概念として出現しました。この運動は何よりもまず、中部ジャワ州のブロラのKlopoduwurの周辺で成長しました。1890年にSedulur Sikep運動は、東部ジャワ州のボジョネゴロ＝Bojonegolo県のランドゥブラトゥン＝Randublatung郡の、森林の中の二つの村で発展し、他の村々へと急速に普及しました。その範囲はジャワ島の北岸から、北および南Kendeng山系の森林に及びました。今日の地図で言えば、東部ジャワ州と中部ジャワ州の境界に当たる地方一帯で、オランダの権力に抵抗する闘争が起こりました。オランダは当時、チーク材のプランテーション/大農園として使うために土地を押収していました。</p>
<p>　Sedulur Sikepの教えは、オランダの植民地政庁とその独断的な行為の結果として、あるいはそれへの反応として出現しました。闘争は物理的な対決の形態をとらず、かわりに、政府が人々に課している全ての規則と義務に、たとえば税金を払わないということによって、挑戦することを宣言しました。何ごとにも挑戦するという態度を通して、独自の社会的な秩序、慣習法および伝統を自主的に作りあげました。</p>
<p>　Sedulur Sikepの一つの原則は、「kulo ndiko sami, kowe aku podho」（私とあなたは平等である、だから全ての人々は平等であるかもしれない）でした。これは肌の色、民族性または宗教／信念に基づいて区別をしない平等の原則です。どんな人間であれ、他の何者かより高い位置を占めるとか、より多くの権利や義務をもつことはありません。全てのことがらにおいて、人々は独力で、あるいは自発的な協力によってものごとを選り分けるべきだとサミンは考えました。</p>
<p>　Sedulur Sikepは実践的な哲学であり、何か不可能であることを創造しようとはしませんでした。Sedulur Sikepの目標は、全ての人間のために実際的な自由をもたらすということでした。少数派よりも多数派が、何かの権利を多くもつことはなく、逆もまた同様です。一人一人の人間が、お金や支払いなしに大地の豊かさを得るという同じ権利をもち、ある人が生産するものはその人の所有物となり、そして他のどんな人も、あるいは一緒に行動する人々も、その人が同意することなしには、そのような何らかの所有物を手に入れる権利をもたず、誰でも自分が生産したものを、自分がそうしたいと思えば交換することができ、人々が何を書けるか、食べたり飲んだりできるかには、それが他の人々の権利を妨げない限り、何の制限もないと考えられます。</p>
<p>　Sedulur Sikepは土地の賃貸借を拒否し、その土地に住んでいる者なら誰でも、その土地を使うことが許されるとし、独占の形態である特許権と著作権を拒否し、税金は自発的なものでなければならないとして人々への課税を拒絶し、子供たちを公式の教育課程に送らず、自然と環境は尊敬されるべき母であると考えていたために、それを賢明に扱いました。</p>
<p>　Sedulur Sikepの教えの鍵となる点は、次のとおりです：<br />
・宗教は生活のための武器あるいは元金となりえる。Sedulur Sikepは宗教と区別されない、ということが理解されなければならない。そしてこのために、Sedulur Sikepの支持者たちは、決して宗教を否認したり憎んだりはしない。最も重要なことは、人々が自らの生活の中でどのようにふるまうかである。婚礼は政府や宗教的な機構が関与することなく、直接的に実行されていた。なぜなら支持者たちの宗教は、国家によって承認されていなかったからである。<br />
・他の人々をいらいらさせないこと、喧嘩をしないこと、羨まないこと、そして他の人々の所有物を手に入れようとしないこと。<br />
・賢明な行動を選択すること、そして傲慢にならないこと。<br />
・生きている人間は、自分自身の人生の理解を発展させなければならない。なぜなら我々の人生は、我々の魂と同じものであり、そして我々は永遠に、一つのそれだけをもっているからである。Sedulur Sikepによれば、ある人が死んだ時その魂は死なず、ただその服を脱ぐだけである。<br />
・話をする時に我々は、我々の口から出てくるものに気を配るべきである。それは正直で、他の人々に敬意を示すものでなければならない。Sedulur Sikepにとって、商業は「不誠実」という要素を含んでいるため、商業は禁止されていた。また寄付も、お金という形態のものは受け取られなかった。</p>
<p>PM：　悲しいことに、スハルトの体制のもとでは、体制側の立場に適さないと見なされた歴史的な素材は、どれもうまく排除されています。オーストラリアの歴史家であるアントン・ルーカス＝Anton Lucasは、インドネシアの独立宣言の時代[1945年以後]にインドネシアで起きた、興味深い社会的な大変動について書きました。それは私が思うには、はっきりとアナキスト的ではありませんが、上流階級に対して自律的に立ち上がっています。植民地の軍隊に対して、またインドネシア共和国に対してです。パプアの先住民の運動もまた、興味深いと私は思います。私は2000年頃に、その指導者たちの一人に会いました。そしてそれから数年後に、彼のものの見方、インドネシアの人々についての彼の批評が、平等主義の（しかし原始的な）社会とヒエラルキー的な現代社会の間の衝突について、私に思い起こさせるということを私は理解しました。私たち自身の歴史を見出すために、最初にするべきことは本当に難しい仕事ですが、それをしなければならないと私は思います。</p>
<p>　インドネシアはあまりにも巨大な国であり、多くの文化的および宗教的な伝統をもっています。インドネシアのどの地方で、そして国内のどのコミュニティーの中で、アナキストたちを見出すことができますか?</p>
<p>JC：　私はジャワ島に住んでおり、そしてこの間ずっと、私はやはりジャワ島にいるアナキストたち（と言っても、その全員を知っているわけでもありませんが）とともに、たいていは活動しています。そしてまれには、他の島々のアナキストたちと行動します（そしてこれは、ただ通信の文脈においてだけです。ある計画のためにともに働くという段階には、私たちはまだ達していません）。</p>
<p>MT：　インドネシアではジャワ島は政府、情報、教育などの「心臓」であり、そのことは国の他の地域で、これらへのアクセスが不均衡になることの原因となっています。国家は意図的にこの状態を創出し、ジャワ島の外部の人々を「ばか」なままにしておき、その土地を、国家と企業による大規模な開発の対象としています。</p>
<p>　私はジャカルタ（ジャワ島の西部）に住んでおり、以下の島々のアナキストたち（個々人またはコレクティブ）を知っています。<br />
・ジャワ島（ジャカルタ、バンドン、ジョグジャカルタ、スマラン、パティ、ブロラ、スラバヤ＝Surabaya、レンバン＝Rembang、ランドゥブラトゥン＝Randublatung、サラティガ、ポロン＝Porong）<br />
・スマトラ島（パレンバン＝Palembang、プカンバル＝Pukanbaru、メダン＝Medan、アチェ＝Aceh）<br />
・カリマンタン島（バリクパパン＝Balikpapan）<br />
・スラウェシ島（マカッサル＝Makassar、マナド＝Manado、ゴロンタロ＝Gorontalo）<br />
・バリ島<br />
とはいえ、このリストの中の人々やコレクティブの一部には、私はまだ個人的に会ったことがありません。</p>
<p>PM：　アナーキーとは基本的な人間的性格だと私は信じます。だからこの信念において、いくらかアナキストの価値を見出すことのできるコミュニティーが、いくつか存在すると私は考えます。たとえそれらのコミュニティーが、自らをアナキストとは呼ばないとしてもです。そのあるものは、宗教的な伝統さえ受け入れているかもしれません。それらは普通、主流の合法的な宗教とは異なっているものです。</p>
<p>　アナキストの運動の中で、宗教は全く何の役割ももっていないのですか?　たとえば、アナキズムとムスリムの伝統の間に、類似点は見出されていませんか?　それとも、全てのアナキストたちは反宗教なのですか?</p>
<p>JC：　私は不可知論者であるアナキストです。私のアナキストの友人たちの多くは、ほとんど私と同じ考え方をもっています。しかしたとえば、スーフィー運動からインスピレーションを受けているアナキストたちも、何人か存在します。私にとっては、宗教とは強制的でヒエラルキー的な機構であり、この理由のためにそれを拒絶するだけでなく、破壊することもやはり必要です。宗教は精神性と同じものではありません。私は反宗教であるとはいえ、理性を賛美して精神性を否定する、そのような現代の人々の一人ではありません。</p>
<p>MT：　私はアナキズムについて知る前に、家族の中での、そしてより広い社会の中での個人的な経験のために、宗教には従わないという選択をしました。</p>
<p>　何人かの友人たちから、宗教についての見方や態度のことを最初に聞いて以来、私はずっと、インドネシアでの宗教的な機構による強い支配や、統制について危機感をもっています。けれどもアナキストの世界では、多くの友人たちがまだ「宗教をもっている」か、あるいは宗教の否定について広い心をもつほどには、まだ十分に勇敢ではありません。自分の家族や宗教的な環境に、なおも敬意を示すことができるように、バランスをとろうとしているのが普通です。</p>
<p>　インドネシアはムスリムの住民たちの数が、世界で最も多い国になっているという文脈の中で、これらの価値は私たちの中へと厳格に植えつけられ、私たちに強制され、私たちに伝えられており私たちを統制しています。家族の水準から始まって、社会や国家にいたるまでです。けれども私たちの多くは、これらの点について議論してきており、宗教とは支配と統制の源泉であって、破壊されなければならないと考えています。一部のアナキストたちはこの問題をより深く掘り下げ、アナキストの視点からイスラムを批評しています。</p>
<p>PM：　アナキストの運動について話すなら、その中では、宗教は何の役割も果たしていないと言うことができます。しかし私の友人たちの一人は、ムスリムであってアナキストでもあります。そしてやはり、彼はアナキズムとムスリムの伝統との間に、何らかの類似点を探し出すことができます。彼は編集者として、ある出版社で働いていますが、そこではムスリムの本の出版をより多く手掛けています。</p>
<p>　インドネシアの全てのアナキストたちの間には、強いつながりがありますか?</p>
<p>PM：　これを「強いつながり」と呼ぶことができるかどうか、私にはわかりませんが、しかしやはり、インドネシアのほとんど全てのアナキストたち（自らをアナキストであると認めている者）は、お互いのことを知っています。</p>
<p>MT：　私はあると言うことができます。たぶん私たちは、自分たちは少数派であると感じているために、私たちの間のつながりは本当に強いです。私たちのそれぞれがお互いを支援するという感覚があり、他の友人たちの活動について知りたいという欲望が存在します。けれども、インドネシアの人々の地理的な、そして財政的な状況のために、落ち合って顔と顔を合わせてコミュニケーションをとることは本当に難しいです。私たちは普段、インターネットか電話を通して連絡をとり合います。</p>
<p>　過去数十年間にわたって、インドネシアで起きている独立闘争：東ティモール、西パプア、アチェ、そして他の地域のものについて、アナキストたちはどんな立場をとりますか?</p>
<p>PM：　私はインドネシアのどんなアナキストをも代表して話すことはできません。しかしいくつかの水準で、私はそれらの闘争を支援することができると個人的に思います。私はまた、ティモール・レステ＝Timor Leste[東ティモール]（人々はイースト・ティモールではなく、ティモール・レステと言うのを好みます）が独立した国家になり、堕落した政府ができる前に、その解放のための闘争に関わっていました。</p>
<p>MT：　インドネシアのあらゆる地域が、それぞれ固有の問題をかかえていることを理解する必要があります。だからこそアナキストたちは、何よりもまず、自分自身の場所で直面する問題に対して、常にそれにふさわしいやり方で行動を起こしたり抵抗したりするでしょう。私たちは代表者たちを関わらせるという方法を避けます（左派のグループの大部分とは対照的に）。そしてそのために常に、自分たちがたまたまいるその場所で、私たちは運動と行動を打ち立てます。と言うのはまた、アナキストの友人が、それらの地域に住んでいないためでもあります（実際にはアチェには友人が一人います。しかし彼はまた、ほんのつい最近そこに着いたばかりなので、それほど多くのことはできていません）。</p>
<p>　しかし、私たちはそれにもかかわらず、それらの場所で何が起きているのかに気づいており、国家権力と戦う全ての形態の闘争と、全ての自律的な闘争を支持しています。けれども、インドネシアから自らを解放し、新しい国を形成する（制度は同一であり、新顔たちが政府と権力を握る）ための人民の闘争をそれらの場所に見るなら、そこには矛盾が存在します。そのようなことは、たとえば東ティモールの場合に見ることができます。</p>
<p>　一方で、私たちはまた異なる視点から、とくに国家権力、軍事主義および環境の搾取という文脈から、それらの問題を議論してもいます。</p>
<p>　政治的な反対勢力の迫害に関する限り、インドネシアという国家は恐ろしい遺産をもっています。アナキストたちはこのことによって、歴史的にどのような影響を受けてきていますか?　今日の状況はどうですか?</p>
<p>JC：　今日のインドネシアは、新秩序[かつてのスハルトによる独裁体制]の時代のインドネシアとは、全く別のインドネシアだというわけでもありません。私が言いたいのはつまり、今日にあっても、権力に服従することを拒否する者たちは、まだ迫害されているということです。近頃ではインドネシアの指導者たちは、前任者たちの失敗から学んでおり、よりうまく弾圧を組織しています。新秩序の時代であれば、反対勢力は粗雑なやり方によって滅ぼされましたが、そのようなことはもうありません。今日インドネシアで権力をもつ者たちは、暴力による支配はしないという誤った印象を広め、平和とセキュリティーの幻想をとことんまで押し出しています。そのために多くの人々は、さらに政府を支持するようになり、またたとえそうでなくても、ただ指導者たちに同意しないだけになります。大部分の人々は、ヒエラルキーや権力そのものは正当だと考えています。</p>
<p>MT：　私たちのうち何人かは、すでに国家によるテロ、脅迫、襲撃および逮捕のような弾圧的な行動に、直面しなければならなくなっています。JCさんの答えを受けて言えば、私たちはこの状況への警戒を続けながら、国家が打ち出す幻想に影響されないように努力しています。私たちはまた、セキュリティーと安全の問題に対して、より多く注意を払おうと努力してもいます。そのために「セキュリティー文化」を、私たちの全ての活動の中で、重要な考察と見なされるべき何かとして打ち立てようとしはじめています。そしてこれらの状況に立ち向かうために、方法と戦略を発展させているところです。しかし、まだほんの少しの人々しかこの問題に関心をもっていない、ということを指摘するのも重要なことです。</p>
<p>PM：　近頃では政府は、実際にはまだ以前と同じことをしますが、しかしそれを円滑に行っています。政府が声明を公然と、暴力的に発表することはもうありません。しかしそのことは、問題と見なされたものを解決するために暴力を使わない、ということを意味してはいません。数ヶ月前に、リアウ＝Riau（スマトラ島）のある村が、軍のヘリコプターによって激しく爆撃されて焼かれました。その村の農民たちが、国のパーム油の会社に土地を手渡したいとは思わなかったからです。スラウェシ島では何人かの農民たちが、同じような事情で撃たれました。ジャワ島のいくつかの村々でもそうです。しかし、国家が統制しているメディアは、そのことを全く報道しませんでした。私と何人かの友人たちは、普段からひどいニュースを自主的に広報しています。</p>
<p>　国際的なつながりについてはどうですか?　東南アジアの中で、そしてより遠く離れた世界で、他のアナキストたちと強い関係をもっていますか?</p>
<p>PM：　公式にはもっていません。しかし何人かの友人たちについて言えば、やはりもっています。</p>
<p>MT：　私個人について言えば、インドネシアの外側のアナキストたちとの間にいくつかのつながりがあります。そしてInstitut-Aは、はじめから国際的なネットワークの助力と、連帯のおかげで存在することができました。私たちはさまざまなコレクティブとのつながりを作ることによって、ここでの私たちの存在と、活動についての情報を広めようと試みています。</p>
<p>　情報を分け合うこととネットワークを作ることの重要性に、私たちは気づいています。しして現実に、情報を分け合うためにどんな道具を使うことができるかを、私たちは知っています。ただ言語という制約のために、もしくは時間がないか、たくさんの資料を翻訳することに適した心的状態にないために、時々行き詰るだけです。集中的に翻訳をしていくための能力と欲望をもつ者は、私たちの中で多くはありません。</p>
<p>　インドネシアと東南アジアでのアナキズムの未来の可能性を、どのように考えていますか?</p>
<p>PM：　私は東南アジアでのアナキズムについてよく知らないため、そのことについて話すことはできません。ネットワークが重要だということは知っていますが、今のところ、私はただインドネシアにもっと焦点を当てたいと思います。というのも、するべきことが非常に数多くあるのに、本当にそれをしているインドネシアのアナキストは、ここでは非常に数少ないからです。</p>
<p>JC：　今までに起きてきたことの進行中の過程を見ると、アナキストによって満たすことのできる空間が、インドネシアにはたくさん存在すると私は思います。かつてマルクス・レーニン主義者だった少なくない数の人々が、全ての形態の権力は堕落し抑圧的になる、と考えはじめています。企業の犠牲者となってきた人々もまた、政府は常に企業の味方にしかならず、したがってただ政府に助けを求めるのではなく、何かより強い行動をとる必要があると感じはじめています。</p>
<p>MT：　私はとくに、これほど多くの問題をかかえたインドネシアという文脈の中で、非常に肯定的に考えています。ますます多くの多様な人々とグループが、自分たちの闘争の形態は行き詰ってきていると感じはじめており、アナーキーは何か、非常に論理的なものとして見られるようになっています。にもかかわらずこの全てのことは、長い過程と骨の折れる仕事を必要とするでしょう。私たちの間に、協力と堅い連帯を築き上げなければなりません。今日私たちが蒔いて撒き散らすアナーキーの種が、あらゆる場所で成長しはじめるのを見ることになるだろうと、私は信じています・・・。</p>
<p>原文（英語）：<br />
<a href="http://hidupbiasa.blogspot.com/2010/11/anarchy-in-indonesia.html" target="_blank">http://hidupbiasa.blogspot.com/2010/11/anarchy-in-indonesia.html</a></p>
<p>「Institut-A-Infohouse &#038; Community Center」のサイト（写真あり）：<br />
<a href="http://instituta.webs.com/" target="_blank">http://instituta.webs.com/</a></p>
<p>インドネシア語のアナ／反権威主義のサイト：<br />
<a href="http://anarchoi.gudbug.com/" target="_blank">http://anarchoi.gudbug.com/</a><br />
<a href="http://kontinum.org/" target="_blank">http://kontinum.org/</a><br />
<a href="http://www.katalis.tk/" target="_blank">http://www.katalis.tk/</a></p>
<p>「メーデー2008」の写真：<br />
<a href="http://news.infoshop.org/article.php?story=2008050604370826" target="_blank">http://news.infoshop.org/article.php?story=2008050604370826</a></p>
<p>（翻訳／I）</p>
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		<title>社会関係を爆破することはできない</title>
		<link>http://anarchism.sanpal.co.jp/translation/843/</link>
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		<pubDate>Wed, 15 Dec 2010 14:52:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator>morikawa</dc:creator>
				<category><![CDATA[翻訳]]></category>

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		<description><![CDATA[表題の小論を翻訳しました。 社会関係を爆破することはできない この翻訳に伴い、この小論を批判したボブ=ブラックの文章の引用部分を一部手直ししました。 社会関係を爆破することはできない&#8230;.でも、やってみると楽し [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>表題の小論を翻訳しました。<br />
<a href="http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/cantblowup-j.html"target="_blank">社会関係を爆破することはできない</a></p>
<p>この翻訳に伴い、この小論を批判したボブ=ブラックの文章の引用部分を一部手直ししました。<br />
<a href="http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/black2.html"target="_blank">社会関係を爆破することはできない&#8230;.でも、やってみると楽しいかも！</a></p>
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		<title>「革命行動」（ベラルーシ）の日録（2010年1月〜6月）</title>
		<link>http://anarchism.sanpal.co.jp/news/801/</link>
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		<pubDate>Fri, 15 Oct 2010 02:30:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュース]]></category>
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		<category><![CDATA[ベラルーシ]]></category>
		<category><![CDATA[革命行動]]></category>

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		<description><![CDATA[（以下はベラルーシの「革命行動（Revolutionary Action）」のサイトから、「わたしたちについて」、「出来事：2010年1月～3月」、「出来事：2010年4月～6月」の3篇を訳したものです。[ ]内は訳注で [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>（以下はベラルーシの「革命行動（Revolutionary Action）」のサイトから、「わたしたちについて」、「出来事：2010年1月～3月」、「出来事：2010年4月～6月」の3篇を訳したものです。[ ]内は訳注です。）</p>
<h3>わたしたちについて</h3>
<p>「革命行動」は社会的アナキズムの考えを共有する人々の集団です。<br />
わたしたちの究極の目標はアナキスト社会（国家のない共産主義）をつくることです。そこでは物質的な富は労働者に属するでしょうし、私有財産、国家、ヒエラルキー、強制、弾圧、刑務所そして人間による人間の搾取はなくなるでしょうし、全ての権力は労働者の集まりに属するでしょう。わたしたちの近い将来の目標は、強くて結束の固い、そして訓練された活動家たちのネットワークをつくることです。そのネットワークは次のことができるでしょう：</p>
<ul>
<li> アナキストの考えを普及させること</li>
<li>わたしたちの言葉を補強するような直接行動に従事すること</li>
<li>社会におけるアナキズムとアナキストたちへの積極的なイメージの形成に貢献すること</li>
<li>自由な社会的関係の発展のために可能なかぎりどこででも闘うこと</li>
<li>利益のためでない文化の発展に貢献すること</li>
<li>地元の社会運動を支援すること</li>
</ul>
<p>わたしたちの組織が「革命行動」と呼ばれるのは、わたしたちは政府の機構や国家の機関とは関係なく、現在の政治的な制度をあてにせずに闘争するからです。わたしたちが目的とするのは革命的な変化です。それは社会の秩序と個人の意識を完全に変化させるでしょう。わたしたちは今、毎日新しい社会をつくりつつあります。権力をとることはわたしたちの目標ではありません。なぜなら、国家のない社会を上から創造することは不可能だからです。権力者の命令によってではなく、下からの直接の革命的な行動によってのみ、社会を真にアナキストのものへとつくりかえることができるでしょう。<br />
わたしたちの国家に対する闘争のなかでは、だれが支配するか：それが独裁者のルカシェンコ（Lukashenko）[ベラルーシの大統領]であるか、役人たちや実業家たちからなる議会であるかは、あまり重要ではありません。国家権力者たちは誰であれ、民衆のことではなく、自分の利益のことを第一に気にしています。そしてどんな政府であれ、その権力を拡大して独裁を確立しようとこころみます。わたしたちの解答は自主管理です。<br />
わたしたちと連絡をとるには、<a href="mailto:belarus@avtonom.org">belarus(at)avtonom.org</a>に手紙を書いてください。<br />
<span id="more-801"></span></p>
<h3>出来事：2010年1月～3月</h3>
<p><strong>1月9日</strong> 「ヒエラルキーのないコミュニティー」についての講義が、アナキストの主催する「Bespartshkola（机のない学校）」によって開かれた。その講義にはおよそ50人が出席した。「Bespartshkola（机のない学校）」はこのように小規模なものではあるけれども、リベルタリアンの教育制度を手本にしようとこころみている。この制度の最初の段階では、わたしたちは従来の教授法で使われている権威を拒絶し、そのかわりにお互いを尊重することにする。わたしたちは自らの視点を最終的なものとはしないし、講義の指導者たちは[出席者たちが]意見を分かちあい、できるかぎり議論を深められるようにするだろう。</p>
<p><strong>1月12日</strong> ある警官がマヒリョウ（Mogilev）で自殺した。そのことは彼のアパートでクリスマス・イブに起こった。そのとき彼は一人でいて、勤務についてはいなかった。この警官は猟銃のIzh-27で彼の胸を撃った。警官が自殺したのは、2010年になってからはこれがはじめてだった。前年には、内務省での自殺の風潮が記録的なものになった。内務省によれば、2009年には14人の警察の職員が自殺した。</p>
<p><strong>1月15日</strong> 新しい法律に基づいて、大統領のもとでの戦略分析センター（SAC）の権限が拡大される。新たな法律改正によって、センターでは特別な調査技術が使用できるようになる。<br />
SACの新しい権限が示唆するのは、この特別な機関が郵便、電信あるいはほかの通信を制御し、技術的な通信経路から情報を収集し、特別な調査技術と関連したほかの職務を果たせるようになるということである。<br />
2011年におこなわれる次の大統領選挙のまえに、うまく制御されない構造を除去するという流れが活発になる。弾圧は法的な基礎によって正当化される。新しい指紋押捺法に加えて、内務省とKGB[国家保安委員会]の権限の拡大とともに、大統領によって直接指揮される新しい特別な部隊が創設されることは、選挙のまえの弾圧がよりいっそう厳しいものになることを暗示している。今や政権のジャッカルたちは、インターネットにも同様に目を光らせている。</p>
<p><strong>1月16日</strong> 土曜日に、警官たちがミンスク（Minsk）[ベラルーシの首都]のFood Not Bombs の行動に介入した。いつもの行動の場所である、鉄道駅の近くの公園に入ることを禁止した。<br />
警察が攻撃的なやりかたで行動を妨害したのは、これがはじめてではない。わたしたちはこれを我慢しないであろうし、権力の弾圧だけでなく警察の無法とも闘うであろう。<br />
警官たちはわたしたちに、内務本部管理局[GUVD]が「わたしたちをたたくように注文した」と言った。しかし、わたしたちは心のなかの火の全ての力をもって抵抗するであろう。この火こそは、弾圧と警察の警棒よりも強い。<br />
1月23日に、13時20分にMikhaylovski公園に来てほしい。そして、あなたとともに行動するために決心をしてほしい。</p>
<p><strong>1月19日</strong> 午前8時ごろ、「ファシズムに反対」と書かれた20メートルの長さの垂れ幕が、Mogilevskaya通りの建物の上から、ミンスクのアナキストたちのグループによって吊り下げられた。これはナチや国家テロに抵抗する、ロシアの反ファシストたちとの連帯行動であり；1年前のこの日に[モスクワで]殺されたNastya[Anastasiya] BaburovaとStas[Stanislav] Markelovを記念するものである。わたしたちはもういちど強調したい。反ファシストの闘争は、反資本主義や反国家の闘争なしでは一貫したものにならないし、だめになってしまう。それにもかかわらず、反ファシストの立場を率直に主張する全ての人との連帯を、わたしたちは表現する。<br />
写真：<a href="http://belarus.indymedia.org/content/sashanozh/19336.jpg" target="_blank">http://belarus.indymedia.org/content/sashanozh/19336.jpg</a></p>
<p><strong>1月21日</strong> ミンスクのアナキストたちはビデオ・アピールを公開し、国内の政治状況についての見方を提示し、そして全ての人々に、国家と資本に対する闘争に入ることに関心をもつように呼びかけた。<br />
ビデオではアナキストの行動の例と、2009年のもっとも意味のあるアナキストのデモがとりあげられている。<br />
それはここで見られる：<a href="http://www.youtube.com/watch?v=-tbrNeekQy4" target="_blank">http://www.youtube.com/watch?v=-tbrNeekQy4</a><br />
<a href="http://rutube.ru/tracks/2847325.html?v=0c662f05c8ecd05b9b38641be5ccf9e8" target="_blank">http://rutube.ru/tracks/2847325.html?v=0c662f05c8ecd05b9b38641be5ccf9e8</a></p>
<p><strong>1月22日</strong> 国家の象徴に対する行動が、アナキストのグループによっておこなわれた。[ミンスクの]大学院教育アカデミーの建物から国旗が取り去られ、かわりにアナキストの赤と黒の旗が掲げられた。<br />
写真：<a href="http://belarus.avtonom.org/?p=7297" target="_blank">http://belarus.avtonom.org/?p=7297#more-7297</a></p>
<p><strong>1月26日</strong> 議会で法律が通過した。それによると、通信教育の学生たちには、もはや軍への徴集の延期が認められなくなる。さらに、全ての高等教育機関の非営利の部門[私学以外の教育機関?]から、学生を徴集するという提案が出されている。<br />
およそ1万人のベラルーシの人々が2010年3月1日まで、不本意な軍務に割り当てられるだろう。最近では徴兵年齢の男性の市民の数が、5～7％減少した。</p>
<p><strong>1月28日</strong> 「自由な抱擁（Free Hugs）」という若者の行動が、ブレスト（Brest）でおこなわれることになっていた。「自由な抱擁」とは参加者たちが通りに出て、見知らぬ人に抱擁しようとする運動である。オーストラリアのHuan[Juan] Mannが2004年に創始した。それは2006年に、オーストラリアの「Sick Puppies」というロック・バンドの音楽ビデオがYouTubeに出されたおかげで、国際的に有名になった。<br />
ブレストでの参加者たちは、ほとんど「自由な抱擁」というポスターをもって集まってはいなかったが、「法の執行者たち」が法律違反（抱擁することの大統領令は存在していないはずである）の嫌疑をかけ、参加者たちを逮捕した。警察署では4つの行政の調書がとられた（公然の団体の活動またはその活動への参加の不法な組織化）。</p>
<p><strong>2月1日</strong> 国別インターネット・セグメントの使用が、ベラルーシでは規制されることになるだろう。第60通信法令は大統領によって、2月1日に署名された。この文書は情報の領域における国家管理、インターネットへの統制の平易化と検閲を指示している。法令はインターネットの使用者の要求に基づいた情報へのアクセスを、制限する仕組みを規定している。たとえば、あるインターネット・プロバイダーがポルノの配布、暴力のプロパガンダ、残酷さやほかの不法行為に向けられた内容の情報への、サブスクリプション・デバイス[?]のアクセスを制限することになる。</p>
<p><strong>2月6日</strong> アナキストの新しいグラフィティの写真を、ここで見ることができる：<br />
<a href="http://belarus.avtonom.org/?p=7517" target="_blank">http://belarus.avtonom.org/?p=7517</a></p>
<p><strong>2月6日</strong> タラチン（Tolochin）（ヴィツェプツク（Vitebsk）州）の住民たちが、町の通りの一つを封鎖しようとこころみたあと、警察に追い散らされた。<br />
タラチンの住人であるNikolay Petrushenkoによると、地元の当局者たちの義務不履行に対するピケ行動を、警察が追い散らしたという。水のポンプが故障してから1ヶ月がたっていた。Dorozhnaja通りと織物工場に隣接する通りが、水の供給から締め出された。<br />
住民たちは地元の行政部局に不満を訴えたが、Nikolay Petrushenkoによると反応が返ってこなかった。午前7時20分、いくらかの人々が通りを封鎖しようとこころみ、警察によってただちに追い散らされた。</p>
<p><strong>2月20日</strong> ベラルーシでの原子力発電所の建設に反対する非合法のピケが、アナキストのグループである「反核抵抗（Antinuclear Resistance）」によって張られた。19時20分に40人からなるグループが、「反核抵抗」と「オルタナティブは存在する!」と書かれた二つの横断幕を、「Oktjabr」という映画館のまえで広げた。行動の間、参加者たちはアナキストのスローガンと反核のスローガンを叫んだ。原子力発電所の建設に関するアナキストたちの立場を説明する演説が、拡声器をとおして読み上げられた。それに加えて、参加者たちはリーフレットを配布し、旗と火によって人々の注意を引きつけた。<br />
ピケ行動は5分間続き、それから参加者たちは去った。逮捕者は出なかった模様。より多くのリーフレットが、都市のほかの場所で配布された。<br />
ビデオ：<a href="http://www.youtube.com/watch?v=4q-st1cF174" target="_blank">http://www.youtube.com/watch?v=4q-st1cF174</a><br />
同じ日に反核の横断幕が、バラーナヴィチ（Baranivichi）とフロドナ（Grodno）の公共の場所に吊り下げられた。<br />
写真：<a href="http://belarus.avtonom.org/?p=7847" target="_blank">http://belarus.avtonom.org/?p=7847#more-7847</a></p>
<p><strong>2月27日</strong> 内務省アカデミー＝警察アカデミー（MIA）が攻撃的なキャンペーンを、将来学校を離れる者たちの間ではじめた。<br />
高校の学生たちが特別な会に集められ、そこではMIAの代表たちが、人生を内務省の職務に縛りつけるように扇動する。第21体育館で警官が、学生たちを侮辱する演説をはじめた。学生たちは何者でもなく、したがって、人生のなかで何事も達成しないだろうという。まるで、もしも誰かが大学に入っても、みじめな存在になることを運命づけられているかのように。唯一のオルタナティブは、MIA。そうして国家が学生たちの面倒をみる。<br />
笑えるが、しかし学生たちは、そのような「扇動」に非常に反発して立ち上がり、MIAの代表に本当の戦いを挑み、彼が自分たちに負担を与えるのを許さなかった。高校の当局さえも、扇動の間に勃発した衝突に干渉しなければならなかった。</p>
<p><strong>3月3日</strong> ミンスクのアナキストたちは、3月15日におこなわれる、「警察の無法と国家の統制に反対する分散した行動の日」のための呼びかけを広めた。<br />
「わたしたちの国はより悪いほうへと変化している。「王」の選挙が近づいている。その選挙だが、結果は誰にでもよく知られている。「王」は心配しなくてもいいように見える：召使たちは飼いならされており、「安定性」は、揺れてはいるがまだ立っており、人々は沈黙を守って働いている。しかし、それにもかかわらず不安と不確かさが、ルカシェンコとその腹心たちをひどく苦しめる。<br />
一般に、4つの全体主義的な法律が最近急に通過した：</p>
<ul>
<li> 内務省とKGBの権力を拡大するもの。これからは調査や盗聴は、地元の職員の認可だけで実行することができる。</li>
<li>インターネットを統制するもの。IPアドレスとページの閲覧履歴[?]が登録される。インターネット・カフェに入るには、IDをもたなければならなくなる。</li>
<li>強制的な指紋押捺法。兵役の法的義務がある全ての人々（およそ200万人）は指紋をとられることになる。</li>
<li>通信教育の学生たちは軍に徴集されることになる。このずうずうしい法律の目的は、近づいている2011年の大統領選挙の期間に、通りに出るかもしれない若い人々の数を減らすことである。国家はできるだけ多くの若者たちを、軍の無気力の学校に送らなければならない。</li>
</ul>
<p>（……）もしもルカシェンコが、テレビ画面で彼が主張するほど確信をいだいているなら、どうしてこれほど極端な統制手段を通過させるだろうか?<br />
答えは単純だ。確実性がないからだ!　危機は猛威をふるっており、当局者たちはその結果を永久にやわらげることはできないだろう。東からの安い石油とガスに支えられた有名な「ベラルーシ・モデル」の崩壊は、単に時間の問題である。さらに、ベラルーシの人々の忍耐力は、自尊心をもつ人々であるだけにとても強いけれども、永遠のものではない。」<br />
アナキストたちは「autonomous」に、ベラルーシのアナキスト・グループに、全ての活動的な同志たちに、自分を身をもって示したかったが、都合のいいときを待っていた全ての人々に、分散した抵抗と不服従の行動をとるように呼びかけた。そして、アナキストたちの考えのプロパガンダに使える数種類のリーフレット、ステッカー、ステンシル[型を使って描いた字や図像]をその呼びかけに添えた。</p>
<p><strong>3月10日</strong> 午前7時45分に、アナキストの運動である「反核抵抗」の何人かの同志たちが、「Ostrovetskaya原子力発電所?　もう結構!」と書かれた横断幕を、地下鉄の駅「Nemiga」の近くの橋の上から吊り下げた。この行動は、今日「核博覧会（AtomExpo）」のために、ミンスクに集まった原発ロビイストたちに対して抗議するものだった。活動家たちが指摘したいと望むのは、原発支持者たちが公式の集まりをもつ一方で、当局者たちが原子力発電所の危険さについて、情報が普及するのを防いでいるということである。<br />
写真：<a href="http://belarus.indymedia.org/content/ulitkapaskalya/19727.jpg" target="_blank">http://belarus.indymedia.org/content/ulitkapaskalya/19727.jpg</a></p>
<p><strong>3月11日</strong> 「早まった」分散した行動がサリホルスク（Soligorsk）（ミンスク州）でおこなわれた。3月9日の夕方、Stroiteley通りの警察署の窓が壊され、火が投げ込まれた。<br />
ビデオ：<a href="http://www.youtube.com/watch?v=jT27oiSwCY0" target="_blank">http://www.youtube.com/watch?v=jT27oiSwCY0</a><br />
3月10日、人権弁護士であるOlga Polyakovaのサリホルスクでの自殺について、住民たちに思い出させる何枚かのポスターが、町のなかに貼られた。Olga Polyakovaは数多くのあざけりと肉体的な打撃を、警察から受けた。<br />
ポスターの写真：<a href="http://belarus.indymedia.org/content/solikanarch/19739.jpg" target="_blank">http://belarus.indymedia.org/content/solikanarch/19739.jpg</a><br />
<a href="http://belarus.indymedia.org/content/solikanarch/19740.full.jpg" target="_blank">http://belarus.indymedia.org/content/solikanarch/19740.full.jpg</a><br />
「わたしたちの活動は、解放のための努力と、わたしたちの生の目標である正義と自主管理を達成するという願いを象徴するものである。警察署の壊れた窓は、わたしたちが制度のシニシズムにあきあきしているということを、ラディカルな形で軍人たちに気づかせるものである。<br />
これらのポスターは、まだ国家の構造に期待し、大統領やメディアの子守唄の演説を信じている人々への、わたしたちの説明である。それらはまた、正義を法的な基礎の上で守ろうとこころみることは、時間の無駄であるばかりでなく、命取りになるこころみである、ということを示している。横断幕に書かれたわたしたちのスローガンは、命にかかわる重要な理想：自由、平等そして同志的友情は、わたしたちが警官たちに妨害されず、制度が死ぬときにのみ栄えるであろう、ということを宣伝するための、もう一つの合図である。」と、行動に添えられた文章はいう。</p>
<p><strong>3月13日</strong> 「オープン・ソフトウェアとコンピューター・セキュリティー」についての講義が、アナキストの主催する「Bespartshkola（机のない学校）」によって開かれた。講義にはおよそ20人が出席した。<br />
ポスター：<a href="http://s002.radikal.ru/i198/1003/3d/799efadf6346.gif" target="_blank">http://s002.radikal.ru/i198/1003/3d/799efadf6346.gif</a></p>
<p><strong>3月18日</strong> 「警察の無法と国家の統制に反対する分散した行動の日」の要約。<br />
行動はベラルーシの7つの町でおこなわれた：ミンスク、ホメリ（Gomel）、バブルイスク（Bobrujsk）（マヒリョウ州）、ポラツァク（Polotsk）（ヴィツェプツク州）、Logojskおよびサリホルスク（ミンスク州）、Baranovichi（ブレスト州）。<br />
行動のなかでは横断幕が吊り下げられ、ステッカー攻撃とグラフィティ攻撃が警察署も含めておこなわれ、国家のプロパガンダの貼られた広告掲示板が攻撃され、新しい全体主義的な法律についてのアナキストの立場を説明する、多くのリーフレットが学生たちの間で配布された。<br />
写真：<a href="http://belarus.avtonom.org/?p=8617" target="_blank">http://belarus.avtonom.org/?p=8617#more-8617</a></p>
<p><strong>3月23日　　Vitaly Gurkovが2010年のK-1ワールド・マックス・東ヨーロッパ・トーナメントで勝利したあと、殺害された反ファシストたちに敬意を表した</strong><br />
ベラルーシのミンスクで3月19日におこなわれた、2010年のK-1ワールド・マックス・東ヨーロッパ・トーナメントの優勝者が、その勝利を、反ファシストの理想のために命を支払わなければならなかった、知人たちと友人たちの友人たちにささげた。<br />
ベラルーシ人の優勝者がベラルーシ語で会見をおこなうのもまた、普通のことではない。ここにそのまま引用する：<br />
「戦いのまえの記者会見で、あなたは約束しましたね。勝利を誰にささげるのかを、トーナメントに勝利したあとで話すと……」<br />
「ご存知のように、世界にはあまりにも多くの不公正があります。多くの悪が。そしてこのように非常に短い期間に、わたしの多くの知人たち、わたしの友人たちの友人たちが、モスクワとサンクトペテルブルクで死にました。それはFyodor Filatov[2008年10月10日にモスクワで殺された]、Ivan Khutorskoy[2009年11月16日にモスクワで殺された]、Timur Kacharava[2005年11月13日にサンクト・ペテルブルクで殺された]……よそ者の苦境に関心をもち、家のない人々を助け、人種的な偏見に反対して行動したこれらの人々。かれらは死にました。そして残念なことには、何かを変えようと生のなかでこころみるこのような人々は、苦しみます。この若い仲間たちは、非常に残念なことに、わたしたちのもとから立ち去っています。わたしは自分の勝利をかれらにささげたいです。そしてまた自分の国と、みずからをベラルーシ人だとみなし、自分の民衆を誇りに思う全ての人々に。」<br />
会見の全文はここでロシア語で読める：<a href="http://www.if.by/article/1069560" target="_blank">http://www.if.by/article/1069560</a><br />
準決勝戦はyoutubeで見られる。Vitaly Gurkov対Gogokhiya Enriko（グルジア）<br />
第1部：<br />
<a href="http://www.youtube.com/watch?v=jJm-kBGQsgs" target="_blank">http://www.youtube.com/watch?v=jJm-kBGQsgs</a><br />
第2部：<br />
<a href="http://www.youtube.com/watch?v=WKHVi_kN6lQ" target="_blank">http://www.youtube.com/watch?v=WKHVi_kN6lQ</a></p>
<h3>出来事：2010年4月～6月</h3>
<p><strong>4月1日</strong> ミンスクのアナキストたちは国家のプロパガンダに対して行動を起こした。国家のプロパガンダの貼られた広告掲示板が、ペンキの球で攻撃された。<br />
写真：<a href="http://belarus.avtonom.org/?p=9437" target="_blank">http://belarus.avtonom.org/?p=9437</a></p>
<p><strong>4月12日</strong> 「反核抵抗」の活動家たちが、「原子力発電所の建設に反対」と書かれた横断幕をブレストの高速道路の上りランプに吊り下げた。横断幕は10分間ほど掛けられ、あとで警察によって取り去られた。<br />
写真：<a href="http://belarusantiatom.info/wp-content/uploads/files//2010/04/banner1.jpg" target="_blank">http://belarusantiatom.info/wp-content/uploads/files//2010/04/banner1.jpg</a></p>
<p><strong>4月13日</strong> 「Bespartshkola（机のない学校）」のべつの講義、「古典アナキスト理論」が開かれた。いくつかの公共の団体が、講義のテーマを知ったあとで主催者に建物を提供するのを拒否したため、この講義は屋外で開かれた。</p>
<p><strong>4月19日</strong> Charnobylski Shlah（チェルノブイリの災害を記念する伝統的な行進で、アナキストたちはすでに9年間にわたって参加している）のための記者会見において、「Malady Front」（若者戦線、ルカシェンコ[大統領]に反対している保守的な若者の組織）の指導者は語った：「我々はアナキストたちや性的少数者たちが行事に出席するのを、挑発であるとみなすだろう。Malady Frontの代表者たちは扇動する者たちの動きを封じ、警察に引き渡すだろう」。<br />
「革命行動」の代表者たちは、そのウェブ・ページであるbelarus.avtonom.orgにおいて、この声明を論評した：「活動家たちが絶えず打撃と弾圧にさらされている当の組織が、どうして警察と協力することができるのか?　わたしたちはそれを、権威へのやみくもな崇拝と呼ぶしかない。しかし率直に言って、そのような戦略は完全に、「Malady Front」の右翼主義の路線にぴったりなのである。その指導者が、異なる人種間の結婚を禁止することに賛意を表したのは、遠い昔のことではない。いわば、「キリスト教徒の価値」のために闘う者たちは、本当に「アーリア人の価値」のための闘争に近いところにいる」。</p>
<p><strong>4月20日</strong> ある反ファシストのグループが、およそ200枚の反ファのリーフレットをブレストで配布した。逮捕者は出なかった模様。</p>
<p><strong>4月24日</strong> アナキストたちはこの9年間ではじめて、Charnobylski Shlahをボイコットするという意志を宣言した。アナキストのグループである「反核抵抗」によって、次のような声明が配布された：「公式の反対者[野党?]がわたしたちを無視し、成長するアナキストの運動を接収しようと[押しつぶそうと?]長い間こころみてきたという事実にもかかわらず、わたしたちのブロックには新しい人々が毎年集まっている。我慢することができないのは、右翼の反対勢力のなかのいくつかの周縁的なグループが、激しく自分自身を振り回したことだ。わたしたちはそのばかげた脅迫をけっして恐れていないし、これからもけっして恐れないだろう。わたしたちが抗議行動に参加するのを妨げる権限は、誰にも与えられていない。」……「今年あなたはCharnobylski Shlahのなかで、ブラック・ブロックを見ないことだろう。わたしたち、アナキストたちと「反核抵抗」のメンバーたちは、今日の形態でのこの行動に参加することを自発的に控える。わたしたちは官僚たちやCharnobylski Shlahの組織者たちに頭を下げ、その言いなりになることを拒否する。わたしたちは豚たちによって監視された群衆のなかで、黙って立っていることに同意しないし、私たちは調査されたり撮影されたり、そしてつばを吐きかけられたりしたくない。当局者たちによって指示された形態でのCharnobylski Shlahは、茶番になりさがっている。このような理由でわたしたちは、Charnobylski Shlahが今年、参加を控えるべき記念行事以上のものであると考える全ての人に訴える。」<br />
このような決定は、今回Charnobylski Shlahに来る者は誰でも、監督を受け、金属探知機をくぐって入ることになるという当局者たちの声明を受けて、決心された。</p>
<p><strong>4月26日</strong> アナキストたちは公式のCharnobylski Shlahへのオルタナティブとして、原子力発電所の建設に反対する非合法のピケを張った。地下鉄の駅「Pushkinskaja」の近くにおよそ60人が集まった。二つの演説が拡声器をとおして届けられ、リーフレットが配布されていた。集会はおよそ15分間続き、そのあと参加者たちは地下鉄に乗り込んで散った。逮捕者は出なかった模様。<br />
写真とビデオ：<a href="http://belarus.avtonom.org/?p=11767" target="_blank">http://belarus.avtonom.org/?p=11767#more-11767</a><br />
ちょうどこの日、「反核抵抗」の地元の活動家たちによって、フロドナ、Berjoza（ブレスト州）そしてブレストで、原子力発電所の建設に反対する横断幕が吊り下げられた。<br />
フロドナ：<a href="http://belarus.indymedia.org/content/zxcvbnm/20105.jpg" target="_blank">http://belarus.indymedia.org/content/zxcvbnm/20105.jpg</a><br />
ブレスト：<a href="http://i057.radikal.ru/1004/a1/78f9112d2ac7.jpg" target="_blank">http://i057.radikal.ru/1004/a1/78f9112d2ac7.jpg</a><br />
Berjoza：<a href="http://pfrecords.ucoz.ru/_nw/0/s35514365.jpg" target="_blank">http://pfrecords.ucoz.ru/_nw/0/s35514365.jpg</a></p>
<p><strong>4月30日</strong> 5月1日の前日、ミンスクのアナキストたちのグループはベラルーシ労働組合連盟（Belarusian Trade Union Federation）[FPB]の建物を攻撃した。二つの窓を壊して火を投げ入れ、「官僚たちを打倒せよ!」という文字を書き残した。「この攻撃によって、わたしたちは労働組合が労働者たちを守る者たちではなく、むしろ抑圧する者たちの味方であることを示したかった。労働組合のボスたちは、けっして働く人々の権利を擁護しようと努めてはいない。ボスたちにできる最良のこととは、雇用主と被雇用者の間の契約の締結を助けることである。しかし主人と奴隷との間に、抑圧する者と抑圧される者の間に、どんな種類の契約がありえるだろうか?」という声明文が出された。<br />
ビデオ：<a href="http://www.youtube.com/watch?v=bLNyIpJYz7Q&amp;feature=player_embedded" target="_blank">http://www.youtube.com/watch?v=bLNyIpJYz7Q&amp;feature=player_embedded</a><br />
同じ日に、アナキストたちは5月1日のためのリーフレットをおよそ600枚、大学の学生たちの間で配布した。</p>
<p><strong>5月1日</strong> アナキストたちはナヴァポラツァク（Novopolotsk）（ヴィツェプツク州）の役所のウェブ・ページをハッキングした。ハッカーたちは声明のなかで、「わたしたちはこの国の全ての官僚たちにメーデーの祝いの言葉を述べる!　今日かれらはおまえたちのサイトをハッキングした。明日かれらはおまえたちを粉砕するだろう!」と述べた。<br />
スクリーン写真：<a href="http://s42.radikal.ru/i097/1005/42/39857bdd0b7b.jpg" target="_blank">http://s42.radikal.ru/i097/1005/42/39857bdd0b7b.jpg</a><br />
<a href="http://s50.radikal.ru/i130/1005/02/0e975eac2445.jpg" target="_blank">http://s50.radikal.ru/i130/1005/02/0e975eac2445.jpg</a><br />
<a href="http://s001.radikal.ru/i195/1005/e5/3eefc9e1635a.jpg" target="_blank">http://s001.radikal.ru/i195/1005/e5/3eefc9e1635a.jpg</a><br />
5月2日の夜には、アナキストたちは労働者たちの宿舎の壁を、ステンシルや労働者たちの闘争のためのリーフレットで飾った。<br />
写真：<a href="http://belarus.avtonom.org/?p=12287" target="_blank">http://belarus.avtonom.org/?p=12287#more-12287</a><br />
ちょうどこの日、何人かのアナキストのグループがベラルーシ銀行（Belarusbank）の支店に放火した。攻撃した者たちは、銀行は不当利得と高利貸しによって、働く人々から金をくみあげる寄生虫だと信じている。富む者はさらに富み、貧しい者はさらに貧しくなる。<br />
ビデオ：<a href="http://www.youtube.com/watch?v=FT7f1hro9jc" target="_blank">http://www.youtube.com/watch?v=FT7f1hro9jc</a></p>
<p><strong>5月5日</strong> ブレストのアナキストたちは、殺害されたロシアの同志たちに敬意を表する大規模なグラフィティの製作を終えた。追悼の壁は3日間にわたってつくられていた。<br />
写真：<a href="http://belarus.avtonom.org/wp-content/001-300x225.jpg" target="_blank">http://belarus.avtonom.org/wp-content/001-300&#215;225.jpg</a></p>
<p><strong>5月7日</strong> 「Bespartshkola（机のない学校）」のべつの講義、「コンセンサスによって決定に達すること」が開かれた。講義は屋外でおこなわれ、およそ15人の学生たちが参加した。</p>
<p><strong>5月16日</strong> 15歳のティーンエイジャーが二人、ボリソフ（Borisov）（ミンスク州）で逮捕された。「いいことをしよう」と呼びかけるリーフレットを配布したためだった。警察の公式発表によると、次のような文が押収された：「我々が互いのためにたたかうのやめるとき、我々は我々を人間たらしめるものを失うことになるだろう」、「もしも我々のそれぞれがマッチに火をつけるなら、その光は天の半分を占めるだろう。もしも我々のそれぞれがいいことをするなら、そのいいことは世界の半分を占めるだろう!　行動せよ、あなたは一人ではない!」<br />
生徒たちはリーフレットを貼っている間に逮捕され、親たちといっしょに住んでいるアパートが捜索を受けた。さらに3点のリーフレット、リーフレットを貼っている場面が写されたデジタル・カメラ、そして社会的なネットワークからの情報がティーンエイジャーの一人の住居で見つかった。行政の調書は親たちに対してとられた（「教育の義務の不履行。」）</p>
<p><strong>5月17日</strong> 「Bespartshkola（机のない学校）」の参加者たちが、「スペインの革命とアラゴンのコミューン」という公開講座の間に逮捕された。講義がはじまってから15分後、警官たちが部屋に入り、出口をふさぎ、そしてベラルーシ労働組合連盟を攻撃した容疑者を探していると言った。それは全ての出席者が逮捕されるということを意味していた。のちにスワット（SWAT）[OMON]の一隊がやって来て、17人の参加者たちを逮捕した。警察署では全体で3時間ほど拘束され、その過程で調書をとられたり指紋をとられたりした。警察はbelarus.avtonom.orgというウェブ・ページの責任者が誰であるかを、聞き出そうとこころみていた。</p>
<p><strong>5月26日</strong> 新しいアナキストのジン[雑誌]が出版された。『黒い旗（Black Colours）』の第8号（『自由か死か（Freedom Or Death）』というジンの後身）である。<br />
写真：<a href="http://s59.radikal.ru/i165/1005/50/cce40d7bfd24.jpg" target="_blank">http://s59.radikal.ru/i165/1005/50/cce40d7bfd24.jpg</a></p>
<p><strong>5月29日</strong> 保健省の小児科医の長が、ベラルーシでの年少者の自殺の数の上昇が止まっていないと主張した。2007年には年少の子どもたちの間の自殺は24件だったが、2009年にはもう42件となった。ベラルーシの人口が全部で950万人だということを考慮すれば[?]。</p>
<p><strong>6月14日</strong> 住居の近くでのガソリンスタンドの建設に反対する、賃借人たちの非合法の集会がボリソフ（ミンスク州）で開かれた。警察は出来事を起こした人権擁護者を逮捕することで、集会を開けないようにした。</p>
<p><strong>6月18日</strong> Baran’（ヴィツェプツク州）の「Los」という合資会社で、第3旋盤工場の労働者たちがストライキに入った。ストライキの理由は、労働者たちに賃上げを与えるという約束を、企業経営者が破ったことだった。</p>
<p><strong>6月24日</strong> Volkovichi（ジャルジンスク（Dzerzhinsk）郡、ミンスク州）の結核の病院の患者たちが、非人道的な監禁状態に抗議してハンガー・ストライキに入った。患者たちは警察から絶えず殴打されており、衛生製品が不足しており、病院からの外出が禁止されていると主張している。「我々は完全に権利を奪われ、ここで動物のように生きている」、と患者たちの一人は述べた。</p>
<p>原文（英語）：<br />
<a href="http://belarus.avtonom.org/?p=8097" target="_blank">http://belarus.avtonom.org/?p=8097</a><br />
<a href="http://belarus.avtonom.org/?p=9957" target="_blank">http://belarus.avtonom.org/?p=9957</a><br />
<a href="http://belarus.avtonom.org/?p=14801" target="_blank">http://belarus.avtonom.org/?p=14801</a></p>
<p>（翻訳／I）</p>
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		<title>社会関係を爆破することはできない&#8230;.でも、やってみると楽しいかも！</title>
		<link>http://anarchism.sanpal.co.jp/translation/793/</link>
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		<pubDate>Sat, 21 Aug 2010 12:53:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>morikawa</dc:creator>
				<category><![CDATA[翻訳]]></category>
		<category><![CDATA[ボブ・ブラック]]></category>

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		<description><![CDATA[アナキズム図書室に、ボブ=ブラック著「社会関係を爆破することはできない&#8230;.でも、やってみると楽しいかも！」の翻訳をアップしました。 http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>アナキズム図書室に、ボブ=ブラック著「社会関係を爆破することはできない&#8230;.でも、やってみると楽しいかも！」の翻訳をアップしました。</p>
<p><a href="http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/black2.html" target="_blank">http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/black2.html</a></p>
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		<title>アレクセイ・ガスカロフ（Alexey Gaskarov）との国際連帯キャンペーンの呼びかけ</title>
		<link>http://anarchism.sanpal.co.jp/translation/739/</link>
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		<pubDate>Mon, 09 Aug 2010 01:32:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[お知らせ]]></category>
		<category><![CDATA[翻訳]]></category>
		<category><![CDATA[KRAS/KPAC]]></category>
		<category><![CDATA[アレクセイ・ガスカロフ]]></category>
		<category><![CDATA[ロシア]]></category>
		<category><![CDATA[弾圧]]></category>

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		<description><![CDATA[リバタリアンの活動家、モスクワ近郊で起訴される 緊急の連帯が必要です!!! 同志たち、 　7月29日、異なった政治的立場をとる何人かの人々が逮捕されました。かれらは前の日に、モスクワ近郊のヒムキ（Khimky）市でおこな [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<h2><a href="http://anarchism.sanpal.co.jp/translation/739/attachment/lesha/" rel="attachment wp-att-744"><img src="http://anarchism.sanpal.co.jp/wp-content/uploads/2010/08/lesha-150x99.jpg" title="lesha" width="150" height="99" class="alignleft size-thumbnail wp-image-744" /></a>リバタリアンの活動家、モスクワ近郊で起訴される<br />
緊急の連帯が必要です!!!</h2>
<p>同志たち、</p>
<p>　7月29日、異なった政治的立場をとる何人かの人々が逮捕されました。かれらは前の日に、モスクワ近郊のヒムキ（Khimky）市でおこなわれた抗議行動に関与したという容疑をかけられています。かれらのなかには、よく知られたリバタリアンの活動家であり反ファシストであるアレクセイ・ガスカロフが含まれています。かれらは市の行政当局の建物への攻撃を組織したとして、何の証拠もないまま起訴されています。被告たちは「フーリガニズム（hooliganism）」および大規模な無秩序を組織した罪で、7年の刑を科せられそうになっています。これからも新しい逮捕者が出るでしょう。当局側は明らかに、ロシアの反体制運動の信用を傷つけ、それを押しつぶそうと狙っています。<br />
　わたしたちは全世界のリバタリアンと反ファシストの活動家たちに、逮捕されたアナキストの同志と連帯することを呼びかけます。<br />
<span id="more-739"></span></p>
<h3>あなたにできることは?</h3>
<p><strong>1）抗議のファックスやEメールを、次のあて先に送ること：</strong></p>
<p>Khimky city court of Moscow Oblast</p>
<p>141400, Khimky<br />
ulica Leningradskaya, 16<br />
fax: (495) 572-83-14<br />
himki.mo@sudrf.ru</p>
<p>To: President of Khimki Court</p>
<p>Mrs. S.B. Galanova</p>
<p><strong>抗議の手紙のモデル：</strong></p>
<p>[英語文・ロシア語文は原文サイト　<a href="http://aitrus.info/node/1020" target="_blank">http://aitrus.info/node/1020</a>　に掲載されています。ここでは日本語訳だけを紹介します。]</p>
<p>現在、貴職の裁判所では社会活動家アレクセイ・ガスカロフの案件の審理がおこなわれています。</p>
<p>アレクセイ・ガスカロフは2010年7月29日に、「Eセンター」の職員たちによって路上で逮捕されました。この案件は、「警察に関する」法律に定められた基本的な拘束の規則に違反しています。彼のアパートの部屋は、令状の提示もなく、押収物件の一覧表を作成することもなく、立会人もないまま、定められた手続きに違反する形で家宅捜索を受けました。彼の容疑と起訴事実（2010年7月28日に、ヒムキ市の行政当局の建物への攻撃を組織したこと）には全く根拠がなく、そのことは最初の公判でも明らかになったところです。彼がヒムキでの事件で逮捕されたことは嘘だと、おそらく人は断言するでしょう。いわゆる目撃者とされる人物は明らかに嘘をついており、証言が混乱しています。</p>
<p>このような条件の下では、私たちはアレクセイ・ガスカロフの逮捕と起訴を、純粋に政治的なプロセスであり、市民的権利を抑圧し侵害する常軌を逸した行為であるとみなさざるを得ません。私たちはこの無法に対して強く抗議します。また私たちは、ロシアでの新しい権威主義の出現と独裁的な傾向に対して、広範で国際的な抗議キャンペーンを組織するつもりです。</p>
<p>私たちはアレクセイ・ガスカロフをただちに解放することと、彼の全ての容疑を取り除くことを要求します。</p>
<p>組織の名前、日付、署名</p>
<p>英語とロシア語の両方で書かれた手紙を送るほうがいいでしょう。わたしたちはこのモデルを使うことをおすすめします。</p>
<p><strong>2）逮捕されたアレクセイ・ガスカロフのために資金を集めること（弁護士費用など）</strong></p>
<p>ウェブマネー（注記：for Alexey Gaskarov）</p>
<p>Z170280498291　―米ドル<br />
E318901103117　―ユーロ</p>
<p><strong>3）ロシア大使館や公使館の前での抗議行動が必要となるときに備えて、組織の準備をすること</strong></p>
<p>同志たち、わたしたちは連帯を求めます。今回の逮捕は、ロシアでの大規模な政治的弾圧の波の始まりになりえます。</p>
<p>KRAS-IWA（革命的アナルコサンディカリスト連盟-国際労働者協会）</p>
<p>（原文）<br />
<a href="http://aitrus.info/node/1020" target="_blank">http://aitrus.info/node/1020</a></p>
<p>（翻訳／I）</p>
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		<item>
		<title>チェコスロヴァキア・アナキスト連盟の2009年の活動</title>
		<link>http://anarchism.sanpal.co.jp/translation/733/</link>
		<comments>http://anarchism.sanpal.co.jp/translation/733/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 01 Aug 2010 16:48:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[翻訳]]></category>
		<category><![CDATA[チェコスロヴァキア]]></category>

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		<description><![CDATA[　チェコスロヴァキア・アナキスト連盟（Czechoslovak Anarchist Federation（CSAF））は1995年に設立された。CSAFはアナキスト連盟インターナショナル（International of [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　チェコスロヴァキア・アナキスト連盟（Czechoslovak Anarchist Federation（CSAF））は1995年に設立された。CSAFはアナキスト連盟インターナショナル（International of Anarchist Federations（IAF／IFA））のメンバーである。CSAFを構成しているのは、自らをアナキストだとみなすグループと個人である。われわれは働く人々、学生たち、失業している人々そして年金受給者であり、アナキストの原則に同意している。それはとりわけ連邦主義、自治（自律）、草の根の活動を意味し、あらゆる種類の階級制度（ヒエラルキー）や不平等をなくすことを意味する。CAFSは領土および生産の自治（自律）、連邦主義、連帯そして社会正義に基づいた、リバタリアン的で自治的（自律的）な社会を作るために努力している。<br />
<span id="more-733"></span></p>
<h2>反資本主義</h2>
<p>　11月21日、CSAFはパルドゥビツェ（Pardubice）という都市（ボヘミアの東部）で、警察権力の増大に反対するデモを組織した。この問題に関心をもつ80人以上の人々が参加した。デモの後では、「弾圧に抗する音楽」というギグも開かれた。<br />
　CSAFが参加を呼びかけた伝統的な反資本主義のデモは、アナキスト・メーデー集会である。集会はプラハの射撃島（Shooting Island）、チェコ語ではStrelecky Ostrov（19世紀以来の伝統的なメーデー集会の場所）、で開かれた。メーデーの起源が思い出される場所である。その後で、アナキストの行進がプラハの街路を通り抜けた。メーデーの行動に続いて、反ファシスト行動（Antifascist Action（AFA））が組織する人種差別反対フェスティバルが開かれた。<br />
　チェコ労働組合連合（Czech Labour Union Confederation（CMKOS））はヨーロッパ労働組合連合（European Labour Union Confederation）とともに、定められようとしている労働法規と、経済危機の結果の両方をめぐって、5月16日にデモを準備した。過去何年間もちょうどそうしてきたように、CSAFは組合員たちの抗議行動に加わった。それは明らかに、資本主義制度に統合された労働組合を支持するためではなく、労働者階級の人々との連帯を表現するためであり、そしてさらに、現在の不公平な制度への不満を表現するためだった。新たに設立された自律労働同盟（Autonomous Labour Union（SOS））を紹介するリーフレットが、何千部も配布された。<br />
　1989年11月17日から20周年となる記念日には、公式の記念デモがあり、参加したCSAFのあるメンバーたちは、その日を思い起こし、1989年11月以後に達成された進歩を批判した。CSAFは1989年の出来事と、それに続く20年間に関する声明を発表し、そしてまた、最初の現代的なアナキスト組織――チェコスロバキア・アナキスト協会（CZECHOSLOVAK ANARCHIST ASSOCIATION）の設立[1989年10月]のことを思い起こした。89年の抗議行動には、アナキストたちさえも参加した。人々はその当時、ボルシェヴィキの政権は内側でも外側でも支持されていないと感じた。彼らは多くのスローガンと要求をもって街路に出た。しかし20年たって、要求したことがどれほど現実と違っているか見てみよう。多くの人々は20年前に、資本主義やNATO（北大西洋条約機構）を、あるいはどこにでも監視カメラがあることを要求しなかっただろう。<br />
　12月10日、木曜日、BNVコンサルティング（プラハの公共交通機関で従業員たちの解雇を立案している会社）のクリスマス・パーティーが混乱させられた。会社は解雇された人々を嘲笑している。労働組合の組合員たちと、そしてまたCSAF／プラハのアナキストたちは、すばやく人々を呼び集めてクリスマス・パーティーの会場を訪れた。60人以上の招かれざる客、おもに交通会社の組合員たちとアナキストたちがパーティーに来た。1 時間続いた抗議行動の間に、招待客は10人来ただけだった。彼らは毒舌、口笛、シュピレヒコール、スローガンそして垂れ幕とともに、明確な態度で歓迎された。アナキストたちの一人、すでに解雇された交通会社の従業員は、うまくレストランの中に煙爆弾を投げ入れた。</p>
<h2>反軍事主義</h2>
<p>　1月23日から2月7日までの期間、CSAFは他のアナキストたちと協力して、反NATOのインフォ・ツアーを組織した。講演、議論そして映画「なぜわれわれは戦うか」の上映が、チェコの10以上の町で、そしてまたスロヴァキアの首都でもおこなわれた。</p>
<h2>反ファシズム</h2>
<p>　CSAFは反ファシスト行動（AFA）が組織する行動を完全に支持し、それに参加する。たとえば、オトロコヴィツェ（Otrokovice）という町でのように。<br />
　CSAF-EAST[東部]（連盟の地域グループ）はスヴィタヴィ（Svitavy）という町で、人種的な動機による殺人の被害者たちを記憶するデモを組織した。地元の少数民族であるロマ（Romani）の人々も含めて、80人以上の人々が参加した。<br />
　12月5日、土曜日に、国の東部でのもう一つの行動が、今度はパルドゥビツェという都市でおこなわれた。ネオナチが行動を組織し、記憶のための行動であるかのように装ったが、それは実際には、むしろ人種差別のイデオロギーと、ロマの人々に対する虐殺の宣伝だった。この事実に、地元の反ファシストたちはじっとしてはおらず、CSAF-EASTと「人種差別に反対する若者たち（YOUTH AGAINST RACISM）」の要請にこたえて、土曜日にネオナチに対抗することを決めた。ファシストの行進のルートとなっていた、主要な道路をまたぐ橋の上から、反ナチの横断幕が吊り下げられた。CSAFの声明は地元の新聞に発表されている。</p>
<h2>記憶</h2>
<p>　チェコの歴史のなかで最も大きな鉱山事故が起きてから、1月3日で75年となった。国の北部のアナキストたちは、これまでの年月のなかで、このとても悲しい記念日を人々に思い出させてきたのだった。この年、CSAF-NORTH[北部]のメンバーたちと他のアナキストたちは、悲劇の被害者を追悼し記憶する行動をおこなった。<br />
　CSAFのメンバーたちは、殺害された[2008年1月18日に、プシーブラム（Pribram）という町でネオナチにナイフで刺され、2日後に亡くなった]反ファシスト・スキンヘッドのヤン・クツェラ（Jan Kucera）を記念する一連の行動に参加した。<br />
　12月6日には、われわれはギリシャのアナキスト、アレクシス・グリゴロプロス（Alexis Grigoropoulos）への発砲を思い起こした。ギリシャ大使館の前でいくつかのろうそくに火がともされ、型板にペンキが吹き付けられた。<br />
　国際女性デー[3月8日]の行動は、モスト（Most）という都市でおこなわれた。アナキストたちは人々にこの日の由来を思い出させたいと望んだ。彼らは家父長制と資本主義を批判するリーフレットを配布した。</p>
<h2>アナキスト黒十字</h2>
<p>　起訴されたアナキストたちへの助力と救援を主導しているのは、CSAFのアナキスト黒十字（Anarchist Black Cross（ABC））である。2009年におけるABCの活動は、とくに国外で迫害されているアナキストたちの件について、人々に知らせることが中心となった。11月の終わりに、ABC-CSAFについての新しいリーフレットが印刷された。<br />
　9月9日と10月16日には、何人かのアナキストたちが、投獄されたセルビアのアナキストたちへの支持を表明するため、プラハのセルビア大使館の前に集合した。われわれの目的はこの件を注視し、人々に知らせ、そしてさらに拘束されたアナキストたちとの連帯を表明することである。11月にCSAFは、ブラジルのガウチャ・アナキスト連盟（Federacao Anarquista Gaucha（FAG））のアナキストたちとの連帯を宣言した。FAGは国家の抑圧的な機構からの迫害に直面している。</p>
<h2>スクウォッティング</h2>
<p>　チェコの反権威主義の運動への、2009年における最も大きな挑戦は、11年以上にわたって存在していたプラハのミラダ（Milada）・スクウォットの、暴力的な強制排除だった。ミラダへの攻撃の直後、300人以上の人々がスクウォットを守るために集まった。その後何日間も連帯行動がおこなわれ、CSAFも他の人々と同じくそれに従事した。不動産の所有者は、ミラダに居住することを不可能にするため、警察の協力のもとに、ネオナチを雇っている警備会社に家[ミラダ]を破壊させた。<br />
　CSAFのメンバーたちはまた、「社会的不適切週間（Week of social inadequacy）」にも参加した。それはプラハの空いた家屋の示威的な占拠とともに始まった。行動は警察の暴力的な介入と、逮捕者への迅速な裁判によって終わった。「社会的不適切週間」はカーニバルで終わり、それには数千人の人々が参加した。<br />
　オランダのスクウォッターたちの呼びかけにより、CSAFはオランダ大使館の前で抗議行動を組織した。スクウォッティング活動を犯罪化しようとしているオランダの政府当局に、抗議することが目的だった。</p>
<h2>連帯</h2>
<p>　1月におこなわれようとしていたイスラエル軍によるガザ地区への攻撃に関して、連盟は連帯と抗議を表明した。CSAFはパレスチナの人々への抑圧に厳しく抗議し、平和のなかで生きたいと望むパレスチナとイスラエルの人々への連帯を表明した。CSAFはパレスチナの人々と連帯するための小さな行動を、プラハのイスラエル大使館の前でおこなった。またチェコ東部でも、イスラエルの国家テロリズムに反対する行動がおこなわれた。<br />
　われわれはまた、韓国の会社である双竜自動車（SSangyong Motors）の従業員たち、ペルーのアマゾン地域の住民たち[6月5日にバグア（Bagua）で虐殺事件が起きた]、そしてベルリンのアナルコ・サンディカリストである自由労働者同盟／ベルリン（Freie Arbeiterinnen- und Arbeiter-Union（FAU）/BERLINE）との連帯を表明した。</p>
<h2>出版</h2>
<p>　CSAFは2009年に、何千部ものリーフレットや小冊子を発行した。決定的に重要な活動となったのは、A3サイズの新聞の発行である。<br />
　CSAFの雑誌『下から（FROM BELLOW）』[チェコ語の誌名はZDOLA]の発行は、現在のところ2号で止まっている。3号は準備中であり、アナキストの観点からみた選挙に関するもの（おそらくチェコ共和国の国会議員選挙があるため）となるだろう。<br />
　アナキスト評論誌『存在（EXISTENCE）』[チェコ語の誌名も同じ]を発行するための作業は、すでに12月からはじめられている。同誌は過去にすでに存在していたが、2002年以降は発行されていなかった。『存在』は他の雑誌がおこなっていないような、アナキスト運動の状況の評論を目指すことになるだろう。<br />
　CSAFはウェブ・ページcsaf.cz（英語のセクションがあり、われわれの活動のいくつかについての情報を英語で読むことができる）を、最も重要なものとみなしている。ウェブ・ページは毎日更新される。理論、翻訳、アナキスト運動についての実際の情報を、家にいても国外でも、われわれのウェブ・サイトで得ることができる。われわれはまた、国外のウェブ・サイトでも、われわれの活動について知らせようと努めている。</p>
<h2>国際的な活動</h2>
<p>　アナキスト運動はつねに国際的なものになっているから、CSAFはほかの国々のアナキストたちや反権威主義者たちと連絡をとりつづけようと努めている。CSAFはアナキスト連盟インターナショナル（IAF／IFA）のメンバーである。CSAFのメンバーたちは、冬に[フランスの]ストラスブールでおこなわれたインターナショナルの会議の一つに参加した。5月の会議はプラハで開かれた。<br />
　CSAFのメンバーたちはまた、2009年の間に国外でおこなわれた抗議行動に参加した。</p>
<h2>国内の活動</h2>
<p>　連盟のメンバーたちはこの年に2回、定期大会を開いた。大会では活動に関する議論、講演そしてワークショップがおこなわれた。CSAFはまた、いわゆる“不定期の”集会（会議）を4回開き、理論的な議論やワークショップ、そしてレクもおこなった。</p>
<p>2010年1月10日</p>
<p>（原文：英語）<br />
<a href="http://www.csaf.cz/english.php?file=144" target="_blank">http://www.csaf.cz/english.php?file=144</a></p>
<p>（翻訳／I）</p>
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		<item>
		<title>「ギリシャはどこにでもある!」（7月17日）でのアナキスト・ブロックのための呼びかけ：オランダ・アムステルダム</title>
		<link>http://anarchism.sanpal.co.jp/translation/729/</link>
		<comments>http://anarchism.sanpal.co.jp/translation/729/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 01 Aug 2010 16:41:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[翻訳]]></category>
		<category><![CDATA[ギリシャ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://anarchism.sanpal.co.jp/?p=729</guid>
		<description><![CDATA[7月17日土曜日にアムステルダム（14u、Spui）で行われるデモ、「ギリシャはどこにでもある!」でのアナキスト・ブロックのための呼びかけ 国家と資本主義に対する国際連帯を! 　アテネからアムステルダムまで強力な緊縮財政 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<h2>7月17日土曜日にアムステルダム（14u、Spui）で行われるデモ、「ギリシャはどこにでもある!」でのアナキスト・ブロックのための呼びかけ</h2>
<h3>国家と資本主義に対する国際連帯を!</h3>
<p>　アテネからアムステルダムまで強力な緊縮財政が実施され、それにより下層階級が最大の打撃を受けつつある。ヨーロッパのあらゆる国では予算を何十億も削り、したがって、賃金、年金、奨学金は全て削減の圧力、または脅迫を受けている。国家は負債を減らさなければならず歳出削減が必要だと言うが、負債は彼ら自身が作ったものだ。というのも、彼らは銀行に救援パッケージを与えたからである。一方、我々はこれらの危機対策をただ受け入れるべきであると言われ、それらは我々自身の失敗であるとさえ言われている。<br />
　労働者たち、失業者たちそして学生たちは、今や銀行への財政的援助のために支払おうとしている。我々は今や国家、富者および彼らの銀行を‘失敗’から‘救出’しようとしている。しかし我々の誰もが、政治家たちと銀行家たちは危機から個人的に害を被らないよう、彼ら自身のポケットを満たしているということを知っている。<br />
<span id="more-729"></span><br />
　我々は彼らの危機のために支払うつもりはない。富者と貧者、搾取者と非搾取者、勝者と敗者の分割に基礎を置く資本主義の制度は、守られるべきではなく破壊されるべきである。この時点で実施されようとしている危機対策の唯一の目的は、単に支配階級と彼らの制度を保護するということにある。だが一方、我々は彼らの失敗のせいで大損失を被っている。今こそ、我々の生存を取り戻す権利を行使してみせる時だ。我々が自ら組織し運営する生存とは、官僚制度と搾取ではなく、協力（自己組織化）と連帯に基づいた社会である。それは銀行や政府をもはや必要としない社会である。<br />
　ギリシャでは何十万もの人々が、彼らの善良な価値ある生存への権利を守るために街路に出た。ギリシャの人々の闘争は我々の闘争でもあり、それは国際的な闘争である。“それは銀行の利益ではなく、人々の必要に応じて決定される社会のための闘争である。受け入れられる水準の生活を誰もが営める社会のための闘争である――働く人々、学生たち、失業者そして年金受給者たちが、ここのみならず世界のあらゆる場所で。人々が彼ら自身を組織できる（誰もが決定に参加する透明な）社会のための闘争である。誰もが無料の教育と健康サービスを受けられる社会のための、平等な機会のための、貧困と不平等を無くすための闘争である。”自己組織化、連帯そして自由のための闘争である。<br />
　国家および資本と呼ばれるこの悲劇の終わりの始まりのために。みんな街路へ：尊厳のために、自由のために、アナルヒーのために!<br />
　アナキスト・ブロックに加わろう!　旗と横断幕とを持って!</p>
<p>　「ギリシャはどこにでもある!」のアナキストたち</p>
<hr />
<h3>“明日は来た、今日を追い払うために”（最近アテネで配布されたポスター）</h3>
<p>　下のポスターは、アテネ北部郊外の街路で配布されたものである。よく知られたフレーズに言葉を引っ掛けている（もともとのフレーズは、“野生の動物は来た、飼いならされた動物を追い払うために”）。ポスターにはこう書かれている：</p>
<p>　　明日は来た、今日を追い払うために</p>
<p>　この危機は今日も資本主義が、昨日やおとといと同じように、我々の生を破壊し自然を略奪していることを裏付けている。それらの瞬間は貴重（決定的）であり、我々皆の自覚を高めることが必須であり、行動は避けられない。さあ出会おう、さあ組織しよう、通りに出よう……さあ反乱しよう!</p>
<p>　明日は来た：基礎となる労働組合、労働者―失業者の集会、大衆的な集会、健康の自主管理、自由学校、住居の占拠、相互援助のネットワーク、連帯基金、大規模な無期限スト、資本家の生産と消費の撹乱、選挙の過程のサボタージュ、支配者の人種差別的・性差別的な見解の孤立化、全般的な良心的拒否</p>
<p>　今日を追い払うために：売り払われた官僚的な労働組合、労働の搾取、政党のぽん引きや中間業者への社会の依存、孤立化、疎外、個人主義。商品化された関係、願望そして日常。弾圧、体系的な暴力そして鎮圧。</p>
<p>　皆で街路へ、我々の失われた尊厳を要求するために!</p>
<p>　アテネ北部の同志たち</p>
<p>原文／英語・オランダ語：<br />
<a href="http://indymedia.nl/nl/2010/07/68720.shtml" target="_blank">http://indymedia.nl/nl/2010/07/68720.shtml</a></p>
<p>「ギリシャはどこにでもある!」のウェブサイト：<br />
<a href="http://griekenlandisoveral.wordpress.com/" target="_blank">http://griekenlandisoveral.wordpress.com/</a></p>
<p>（翻訳／I）</p>
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		<title>G8／G20反対行動に際してのNo One Is Illegal（トロント、バンクーバー、ハリファックス、モントリオール、オタワ）の共同声明</title>
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		<pubDate>Sat, 10 Jul 2010 14:37:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[翻訳]]></category>
		<category><![CDATA[G20]]></category>
		<category><![CDATA[No One Is Illegal]]></category>
		<category><![CDATA[カナダ]]></category>

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		<description><![CDATA[フェンスを無くせ、国境も無くせ! 不法な者などいない、不法なのはカナダだ! すでに周知のように、6月25日から27日にかけて、世界で最も富める国々（G8およびG20）の政治屋・詐欺師ども[poli-trickers]や金 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>フェンスを無くせ、国境も無くせ!<br />
不法な者などいない、不法なのはカナダだ!</strong></p>
<p>すでに周知のように、6月25日から27日にかけて、世界で最も富める国々（G8およびG20）の政治屋・詐欺師ども[poli-trickers]や金融エリート、そしてEUやIMFならびに世銀の首脳たちが、ハンツビル[Huntsville]およびトロントに顔合わせにやって来る。彼らは緊急援助や企業のエコ対策、そしていかにしてより多くの金を、自分と仲間たちの懐に入れるかを話し合うことだろう。G8およびG20の国々とその企業は、地球上の武器のほとんどを製造して戦争によって利益を上げ、石油企業や大規模な工業計画を援助しており、彼らのせいで毎年、何百万もの人々が故郷から追い立てられている。G20諸国にたどり着いた出稼ぎ労働者たちは、いくらでも搾取できる労働者として扱われ、不安定な仕事へと囲い込まれ、そしてその多くは、拘束や強制送還への恐怖の中で暮らしている。<span id="more-723"></span><br />
今週、G8とG20の致命的にひどい政策を暴露し異議を唱えるために、トロントに何千人も結集することだろう。No One Is Illegalという、カナダ[Kanada]中に広がる草の根の反植民地化の、移住民の公正を求めるグループの、主として人種化された／移民の背景をもつメンバーたちがそこにいることだろう!　数多くのフェンスや国境が我々を分断しているが、そんなもののない世界を創造するために、正義や尊厳とともに生きられる共同体を創造するために、我々は闘うであろう。我々は友人たちと仲間たちに、我々とともに闘うことを呼びかけるとともに、とくに傷つきやすい人々（有色の人々、トランスの人々、地位をもたない人々など）には、互いに助け合いながら身を守るために、親近グループを形成することを勧める。<br />
6月22日、我々は皆、ジェンダーの公正とクイアの解放を求める運動に参集するであろう。女性たちとクイア、それにトランスの人々の、周辺化を克服するための、日々の生きられた経験に基礎を置いた強烈かつ創造的な行動が展開される。No One Is Illegalの「不安のないアクセス」キャンペーンの一部として、全ての移住民の女性およびトランスの人々に避難所、聖域、地位への権利を与えることを、我々は要求することになるだろう。6月23日には、我々は環境の公正を求める活動家たちとともに集まる。彼らは諸機関や企業の環境に対する責任を暴露し、カナダの略奪的な工業が国内と海外において、どんな衝撃を社会に及ぼしているかを暴露している。<br />
6月24日、我々は自らを防衛する先住民たちの傍らに立つであろう。タートル・アイランド[亀の島＝北米大陸]では何世紀もの間、植民地化と民族皆殺しの政策によって、先住民の貧窮化や独自の文化の強制的な同化、土地や資源の略奪が引き起こされてきた。非ネイティブの多くの人種からなる支援者として、我々はつねに先住民の諸共同体と連帯し、活発な運動を展開しなければならないと強く信じている。<br />
6月25日、尊厳と人間性をおびやかす貧困、差別、包括的な社会サービスの欠如、賃金奴隷的な労働条件、移民への抑圧的な政策、ジェントリフィケーション[再開発などによる高級住宅地化]、環境の劣悪化、そして警察の野蛮さに抗して、日々組織化を行うコミュニティー・グループとともに我々は行進するであろう。我々は[広義の]「ホームレス」化と[野宿者などの]強制退去に反対する闘争に参加し、フェンスまで行進してテント村を建設し、我々が住みたいと願うような正当な共同体のモデルを示すであろう。<br />
6月26日、我々は戦争に反対する活動家たちの側に結集し、共謀してアフガニスタンからハイチまでを占領する帝国主義者たちの企てから、カナダが手を引くように要求するであろう。我々は家父長制、人種差別、民営化、社会サービスの削減、そして移民・移住民の労働者からの搾取に反対する労働者たちと、生活賃金、労働の自主管理、そして全ての者に地位を与えるように要求する労働者たちと、資本主義の暴力に改善の余地はないことを明らかにする労働者たちと、ともにあるであろう。<br />
6月26日、我々はまた、反資本主義者たちやラディカルな労働運動の活動家たちとともに立ち上がるであろう。彼らは警察国家や、G20諸国の財務大臣たちと企業を覆い隠す10億ドルのセキュリティー機構と、フェンスの前で対峙し続けている。パレスチナからメキシコに至るまで、国境の壁に対する抵抗は抑えられないし、解放を求める我々の愛と怒りも同様に抑えられない。軍事化されたフェンスとは、世界的規模のアパルトヘイトと企業の貪欲さの、そしてエリートを民衆から隔離する方法の物理的かつイデオロギー的な象徴であり、崩壊するはずであると我々は断言する。<br />
6月26日の夕方、我々は街路の返還要求をする者たちとともにパーティーを開くであろうし、6月27日には、我々は監獄の廃止を求める人々とともに、不安の増大および刑務所と監視産業の複合体による弾圧に光を当てるであろう。<br />
これからの一週間、我々は全ての仲間たちに、街路で正義のために団結して行動することを呼びかける。全ての先住民の共同体の自己決定、環境の公正、所得の公平と資源に対する共同体による統制、移民の公正、ジェンダー・クイア・「障害者」および生殖の諸権利、そして全ての抑圧された民衆たちの解放が実現する世界のために。あらゆる壁とフェンスが崩れ落ちるまで、闘争に立ち上がろう!</p>
<p>彼らの側に向けられた壁は、橋である。<br />
（米／メキシコ国境の壁のグラフィティより）</p>
<p>（原文：英語）<br />
<a href="http://toronto.mediacoop.ca/newsrelease/3703" target="_blank">http://toronto.mediacoop.ca/newsrelease/3703</a></p>
<p>（翻訳／I）</p>
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